FC2ブログ
 

米国株テクニカル分析ブログ ソシアルアドバンテージ 香港株、米国株、エリオット波動のブログ

暴力の制限と社会の不正 子どもと職場のいじめ  

喧嘩両成敗という言葉がある。
原因のいかんにかかわらず、両者を処罰するというものだ。
これは有名な鎌倉時代の御成敗式目にある言葉である。


当時の人々は自力救済が基本で、ものを盗まれても、家族を殺されても土地でもめても、すべて自分で解決することが当たり前だった。
特に、武士に必要な物は領地、武具、名誉だったので、売られたケンカを断ることは即一族の生存を左右した。


そして、領土を守ることは全てにおいて優先され、幕府も天皇家も誰も顧みるものはなかった


そこには「武力」こそが実力であり「正義」であったのだ


しかし、鎌倉幕府の支配がある程度行き渡ると同じく鎌倉幕府の臣下である武士たちが互いに争うというのは
どうにも認められなかった。
そのため、喧嘩両成敗を導入したのだが。

このことが日本における「正義」の存在を危うくしていると私は考えている。

つまり、そこにいたる前提や関係を無視して両者を処罰しても問題は何も解決していないのだ。

みなさんも学校で「喧嘩両成敗」といわれて叱られた経験があると思うのだが。

これが悪い。

何が悪いのか誰が悪いのかはっきりしないまま両者を叱ったり、仲直りさせようとする
こんなものは教育でも何でも無く、事なかれ主義でしか無い。

そして、喧嘩両成敗の悪いところは弱者に不利ということである。

強者が弱者にルールや条件を押し付けるのは自分が有利であるからである。
そして弱者が歯向かうのはそれが気に食わないからである

しかし、弱者が危険を犯して反撃した時、喧嘩両成敗では弱者も処罰される。

喧嘩両成敗は鎌倉時代以降もしばらくは日本の民事の基本であった。
だからこそ日本には「いじめられる方も悪い」というような女の腐ったような考え方が幅を聞かせてしまっているのである

喧嘩両成敗は弱者を放置する考え方である
司法は全ての罪を探しだすことができない
弱者は自らの身を守る必要がある
自力救済はある程度の範囲で認められる必要がある




関連記事
スポンサーサイト



コメント


管理者にだけ表示を許可する
 

 

トラックバック