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GM(ゼネラル・モーターズ)とフォード、アンドロイドとアップル

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フォードとGM(ゼネラル・モーターズ)20世紀前半におけるアメリカの伝説的企業である。

ヘンリー・フォード、ウィリアム・C・デュラント、二人の個性の強い経営者に率いられた2つの自動車会社はアメリカの製造業の象徴であり、第二次大戦の間はアメリカのために戦車やトラック、銃火器を作ってアメリカのために働いた。

ヘンリー・フォードは銀行嫌いの技術者タイプで、フォードは1956年まで同族企業の非公開企業であった。

ヘンリー・フォードはユダヤ人嫌いで知られ、ナチスドイツの政策に最初、賛成の意を示していた。

ヘンリー・フォードのやり方は、単一のモデルであるT型フォードをひたすら効率的に作りまくるということで、
ボディのカラーは黒のみだった。
従業員は高い給料で雇われていたが、長い労働時間と退屈な作業内容は離職率が高かった
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ウィリアム・C・デュラントは営業と組織づくりの才能に恵まれ以下の様なエピソードがある

もの売りの才
1878年、伯父叔父から請われ16歳で学校を辞め、クラポ製材所を手伝った。日当75セントだったため夜は近くの店で店員としても働いた。ほどなくクラポ製材所を離れ、特許薬の販売や不動産の営業などを手がけた。タバコの行商では、出張前に出張手当6ドル汽車賃2ドルを要求して雇い主から責められたデュラントだったが、2日で2万2千本のタバコ(葉巻き)を販売し、雇い主を驚かせた。これは若い頃のセールスマンとしての才覚を示したエピソードとして語られている。
1881年、フリントで上水道管理業務を請負っていた会社Flint City Waterworksが年老いた社長の代わりとなる若手を探しデュラントを滞納金徴収係として雇った。デュラントは個別訪問先で水漏れや水のにごりなどの苦情処理でサービス改善をおこない徴収率を高めた。電気とガスの検針および徴収や火災保険の売り込みまでおこなった。会社には多額の借金があったがデュラントは8か月で返済しフリントで若手事業家として認められるようになった。



しかし、デュラントは投機的な人物で、企業買収のし過ぎでGMから銀行団によって追い出されたことがある

豆知識:しかし、その後デュラントは再び自動車会社を経営し始め、シボレーブランドが逆にGMを買収した


デュラントのやり方は選択肢を作り出すというやり方で、スポーツタイプや貨物車など用途に合わせた自動車をいろいろなブランドで売るというものだった。
これは、GMが、いろいろな会社を買収した結果であるといえる

フォードはT型フォードをひたすら作ることで大きな富を得た、なぜなら売るものはT型しか無いので、
T型用の生産ラインT型用の補修パーツしか在庫が要らなかったからだ、しかし、最終的にはGMがフォードを破った

なぜならGMはフォードにはない個性があったからである、つまり、みんな同じクルマが欲しい訳ではなかったのである

スポーツタイプが欲しい人、セダンが欲しい人、ワゴンがほしい人、それぞれである


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そして現代、アップルを創業したスティーブジョブズはマッキントッシュとwindowsのOS戦争で敗れ、
MP3プレーヤーの市場に参入した。


当時のMP3プレーヤーはおもちゃ扱いされていて、MDプレーヤーの代わりの「安物」と思われていた。
音楽は最初500メガくらいしか入らなかった

当然パナソニックやソニーも参入したのだが、出遅れと同時に操作性に大きな違いがあった。
記憶装置としてSDカードやメモリーカードを使っていたので、読み込みに時間もかかった。それに曲も40曲程度しか入らなかった

パソコンソフトも大きく違い、ソニーのソフトは高音質なのでCDからの読み込みに時間がかかった、
その反対に、ipod用のソフトは低音質だが読み込みがはやかった、記憶装置としてはHDDだったので数百曲が入れられた

iPodもT型フォードと同じく色に選択肢がなく、白か黒しか選べなかった

その後、ミニ、ナノ、シャッフル、タッチ、が出てiphoneが出た(この辺はご存知の通り)

アップルはSONYやTOSHIBAに比べて商品点数が恐ろしく少ない、そのため、かなりの利益率の高さを誇っている


その後、スマートホンに携帯電話の主戦場が移った後、携帯電話メーカーにはもはや自分たちで携帯電話用OSを作る体力は残されていなかった。

そこに割り込んできたのがAndoroidのGoogleであるラリー・ペイジとセルゲイプリンの二人が創業者だ。

OSはコンピューターの核である

そのOSを無料で提供する、という甘い言葉とともに、携帯電話メーカーから主導権を奪ってしまい、なおかつ、
googleのサービスのアプリをプリインストールさせてしまった。

もはや携帯電話メーカーは冬虫夏草に寄生された虫も同じである

     

今後、APPLEは自分たちでバリエーションを創りだすか、さもなくばIOSのライセンスを開放する必要に迫られるだろう。
なぜなら、万人にとっての答えが「iphone」とは限らないからだ


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