今後のアジアの重心

 日本が世界で存在感を失って久しい。
 
 戦前の日本を近隣諸国に外向的圧力を加えるように振る舞う男性的な国だとすれば、戦後の日本はあらゆるアメリカの
命令を受け入れるオカマの国に成り下がった。

 敗戦からのち、頼みの綱の経済力すら失い、日本にはもはや誇るべきものはなくなりつつある。

 今後のアジアの経済の中心はインドネシアかマレーシアが濃厚だ。
 インドでも中国でもない。


 中国は1人っ子政策でしばらくすると停滞し、インドはカースト制によって社会が分断されてしまうので、いくら人口が多くても国民を団結させることは難しいだろう。
 職業や住所によって分断されてしまうのであれば、1つの国の中に2つも3つも国があるのと同じで、常に自治や独立を求める社会不安にさいなまれるだろう。実際、インドは長い歴史の中で、いくつかの藩王国にわかれ、離合集散をくりかえしてきた。
 民主主義は個人の意見を集約するが、意見が受け入れられなければ少数派は分離主義に走るしかなくなるだろう。

 インドネシアは平均年齢30歳前後
 マレーシアは28歳前後


 この2カ国に共通しているのは、島国であることと、周辺諸国に敵対国が少ない点である。

 島国であることは大きなメリットの1つだ、日本に当てはめると瀬戸内海周辺の各工業地域を「帯」としてならさしめているのが瀬戸内海である、瀬戸内海を貨物船が行き来することでいろいろな部品を集め、垂直、水平分業することで複雑な工業製品を作り出してきた

 インドネシア、マレーシアも船舶によって各工業地域を結ぶことで強力なサプライチェーンを形成することが可能になるだろう。

さらに、島国は領土問題を抱えにくいという利点がある。

ドイツが隣接するポーランドの領土を得れば、1度インフラさえ準備してしまえば、それはそのまま以前からの自国の領土のようにあつかえるので、同様に内陸国では領土争いが絶えなかった

しかし、たとえば沖縄から台湾を攻めるには上陸戦の為の相当な準備が必要なので、もし国際紛争が起きる直前にはかなりの兵力や物資の集積が見られるだろう。
その結果、台湾は余裕を持って防衛力を準備することができる。

そのため東南アジア諸国は、お互いの勢力圏を犯すことより、自国の国内の発展にエネルギーを注ぐだろう。
そして、自国内に再投資を繰り返すことで、他の地域よりも素早くそして高い成長を得ることができ、その他のちいきより発展する。

インドネシア、マレーシア両国のインデックスETFを買ってはどうだろうか?




マレーシアとは「『ムラユ (Melayu)』の国」の意味だが、この「ムラユ」という言葉自体は、サンスクリット語で「山脈のある土地」を意味する「マラヤドヴィパ (Malayadvipa)」を語源としている[4]。古代インドの時代には、交易商たちがマレー半島を指すときに使う言葉であった。その後、7世紀の唐の僧侶の義浄による記録に現れるスマトラ島に存在したシュリーヴィジャヤ王国(3世紀 - 14世紀)の他称『ムラユ王国(英語版)』として継承され、近代に入ってからフランス人の探検家ジュール・デュモン・デュルヴィルによってマレーシアという言葉が生み出される[5]。もっとも、当時は現在のマレーシアのみならず、東インド諸島全体を指し示していた。そのため、現在のフィリピンが独立する際、国名をマレーシアとする案もあったとされる[6]が、フィリピンよりも先にマラヤ連邦(現在のマレーシア)が先に自らをマレーシアと呼称するようになり、現在に至る。


インドネシア共和国(インドネシアきょうわこく、インドネシア語: Republik Indonesia)、通称インドネシアは、東南アジア南部に位置する共和制国家。首都はジャワ島に位置するジャカルタ。
5,110kmと東西に非常に長く、また世界最多の島嶼を抱える国である。赤道にまたがる1万3,466もの大小の島により構成される[2]。人口は2億3000万人を超える世界第4位の規模であり、また世界最大のイスラム人口国としても知られる。
島々によって構成されている国家であるため、その広大な領域に対して陸上の国境線で面しているのは、東ティモールのティモール島、マレーシアのカリマンタン島(ボルネオ島)、パプアニューギニアのニューギニア島の3国だけである。
海を隔てて近接している国は、パラオ、インド(アンダマン・ニコバル諸島)、フィリピン、シンガポール、オーストラリアである。
東南アジア諸国連合(ASEAN)の盟主とされ、アセアン本部もインドネシアの首都ジャカルタにある[3]。そのため、2009年以降、アメリカ、中国など50か国あまりのASEAN大使が、ASEAN本部のあるジャカルタに常駐[4]。日本も、2011年(平成23年)5月26日、ジャカルタに東南アジア諸国連合(ASEAN)日本政府代表部を開設し、ASEAN大使を常駐させている[5]。
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権利の保護

 経済活動の権利が保証されていないところでは産業は栄えない
 中世のヨーロッパ低地地方で経済が栄えたのは強い権力者がおらず、
個人の権利が保証されていたからである
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多様性の嘘っぱち

 安部首相の政策の中で女性の力の活用が盛んに叫ばれている、上場企業の役員や幹部に一定数女性を採用しなくては行けないというものだ。
 
 これは間違った政策だ。
 
 企業というの本来所属するメンバーの利益を最大化するためにあるのであって、そこでの組織の構成は本来、
経営陣や企業文化、経営環境が独自に決めるべきものだ。
 それはラーメン屋のスープの配合の違いに似ている。

 もし福岡でとんこつラーメンが流行っているからといって、それを青森で出してもその店が繁盛するとは限らない。
 同じように中京地域の寿がきやのスープをそのまま鹿児島に持って行ってもうまくいくとも限らない。
 つまり、何がうまくいくかは市場環境が決めるのであって、願うことはできても叶えることはできない。
 
 青森では濃い醤油の塩辛いスープが好まれるが、福岡ではせっかちな人が多いので(福岡県民は歩く速度が速い)さっと茹で上がる細麺でそれによく合うとんこつスープ。

つまり求められている能力が違うのである。
 鉄道だとレールを敷く作業には体格のいいゴツイ骨格の人が向いていて、チケットカウンターにはせっかちな人が向いているだろう。
 医者だとドクドク流れる出血に慌てず他人の臓器をザクザク切り刻める人を採用するべきで、役者にはすぐ泣ける人を採用するべきだ。

 だから黒人だからとか、コーカソイドだから、女だから若いから、年を取り過ぎているからという理由で優遇したり候補から除外しては行けないのである。
 
 市場の原理を理解して経営するのであれば、今の日本のように男性優遇が多分に残っているのであればむしろ優秀な女性を囲い込んで優位に立とうとするのは正しい、しかしそれを決めるのはあくまでも経営陣であるべきだ
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都市には娯楽が必要(2)

サード・プレイスという概念がある。

 1.自宅 2.職場 3習慣的に訪れてリラックスしたりコミュニュケーションをする場所←ココ

 今の都市にはサードプレイスが本質的な意味では存在しない。
 リラックスの仕方はコーヒーを飲んでリラックスすることだけではないのだ。

 もっとアクティブに過ごせるサードプレイスを作ることはビジネス的にも社会の安定のためにも、そして個人の幸福の為にも大きな意味と可能性があると私は考えている。

 ただ公園を緑化したり、川沿いをブロックで舗装するのではなく、遊び心を出して見るのだ。
 それには、なぜか法に背く無法者の立場に立ち需要に供給する事ができる何かを考えてみるとよい。
 
 なぜ大阪のおじさんは堤防でゴルフをするのか?
 それは打ちっぱなしのような人工的な閉鎖的な場所が人間の本質に反しているからだ、
それなら川岸にパターゴルフ場やSWとパターでプレイするショートコースを作ってはどうだろうか?
 こうすればしょっちゅう専用コースに出るほどお金を持たない人でも気軽にゴルフが出来るし、ただ漫然とウォーキングやランニングをするより能動的な娯楽といえる。

 柵やフェンスを乗り越えて釣りをしたがる自殺志願の釣り人には?
 これも人間の本質に従うことで対処できる。
 狩猟本能を満たしたいのだろうから弓道場をつくろう、それから乗り越える欲求を満たすアスレチックも、
釣りに関してはボート免許を見なおして簡単に免許を取れるようにするべきだ。
 第二次世界大戦では日本人は車輌を運転できる人間の不足に苦しんだ、中国との緊張が高まれば上陸用舟艇を運転する人員が数千人単位で必要になるだろうから人材のプールとしても役立つ
 そもそも日本人は周りを海に囲まれているくせに海に親しまなすぎる。
 だからこそ、関西の辛某なんかがメクラと太平洋を横断しようとするような馬鹿げた冒険を始めるようなことになるのだ。
 脇道にそれた、人は本質的に娯楽の方に金をつかうものだ、教育に使う金の2倍3倍は投じる。
 今後都市に住む人々が更に増えると見込まれる中で、都市部でのアクティブな娯楽産業を起こすことができればスターバックスやマクドナルドを凌ぐ巨大企業を作ることは十分可能だろう。
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都市に必要なのは娯楽(1)

 が旅行で都市部に出かけて不思議に思うのは、喫茶店の多さだ。
 大勢の人がなぜこれほど発展した都市でわざわざスタバコーヒーを飲んで退屈そうに時間を潰すのだろうか?
 ちなみに私はドトールが好きだ(どうでもいい)

 ネット上では都会に住んでいることが現代人のスタンダードのように論じている意見が多いが、
私にはちゃんちゃらおかしい。
 田舎に住んでいる私は退屈なときはいくつでも楽しむ方法がある。
 
 自転車で車の殆ど走らない県道や国道をのんびり走っていると穏やかな充実感がある。
 漁港の岸壁で釣り竿をたれていると心が休まる。
 車で高速を飛ばして大声で歌うと心が晴れる。
 川の堤防でタバコを吸っていると自然にとけこんでいく気分だ。
 高台の公園から自分の住んでいる街を眺めると偉大な人間になった気がする。
 ドライブスルーで買ったモスバーガーをつまみながら海沿いの道を飛ばすと開放感が半端ない。
 個性的な飲食店も多い。
 ギターを夜中に引いても苦情が来ない

都市部ではどうか?結局金である。
 高いワインを飲んでいったいなんだというのか?あんなものラベルに金を払っている味音痴がほとんどじゃないかwww
 なら健康的に走るか?排気ガスとアスファルトの粉塵の中で?
 じゃあ踊るか?タバコ臭とアルコール臭の中で?
 じゃあジムで機械の上で走るか?窓ガラスに移る醜男(自分)を見つめながら
 では買い物でも行くか?でもよほどイケメンじゃなければ服なんてシーズンごとに5着もあれば十分だ
 さあ格安居酒屋の生中(実は発泡酒)で酔おう!!
 その後キャバクラでもいこう、最初の1時間で7000円、相手の女は中卒だけど!
 移動は電車、電車家畜の有蓋貨車、駅は現代の関所だSUICAは家畜の耳票(じひょう:家畜の個体識別用の札)、ちょっと移動するだけで200円300円を払っているのは金銭的な凌遅刑(受刑者が簡単には絶命しないようゆっくり身体を切りつける刑罰)を受けているようなものだ。
 
 こんな環境では子供がグレて当たり前、コーヒー飲んで時間を潰すしかない。
 本当の意味での娯楽が今都市には必要なのかもしれない

つづく
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