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栄養失調で茶髪の高校生が増えてきた

最近の高校生の髪の毛はみんななんか茶色がかってみえる


更に言うと児童といえる年齢の子どもたちの髪の毛もそうだ


よく生まれつき色素が薄いとかいう意見も見るが、少なくとも15年前の子供で茶色がかった髪の毛の子供っていなかったと私は思う(みなさんのまわりはどうだろうか?)


日本人の子供の髪の毛が茶色がかってきたのは、昔日本マクドナルドの創業者藤田田はハンバーガーを日本人に食わせて日本人を西洋化しようとしたそうだがその影響だろうか?


もちろん違う


文部科学省の学校保健統計調査ー平成30年度で日本人の子どもたちの髪の毛が茶色がかっている理由を知ることができる


https://www.mext.go.jp/component/b_menu/other/__icsFiles/afieldfile/2019/03/25/1411703_03.pdf

PDFを見てほしいのだが、文部科学省の調査によれば日本人の学童はここ最近、発育が悪化し栄養摂取が不足し、体重は軽量化し身長も10年間で小型化してしまっていることがわかる


平成17年と比べると肥満の子供は大きく減少し、国民の貧しさが深刻になっていることが分かる


ちなみに平成17年の総理大臣は小泉純一郎だwww


文部科学省の調査でわかるように、小泉純一郎の時代を境に肥満傾向の子供は減少し子供は栄養が不足していることが明らかになってきた


また平成17年から現在まで痩せている子供は肥満傾向の子供の減少と反比例して増加し続けている



さらに平成後半を通してまるで社会の先行きが見えないことが子供にも影響を与えているかのように、子供の視力も低下を続けていてビタミンが足りていないことを明らかにしている



ほんとはグラフを貼れば良いのだがこれはもともとのPDFを見てほしいのでそれはやめておこうと思う


私の見立てでは日本人の子供は貧困化により子供がまともに栄養を取れていないから髪の毛が茶色がかっているのではないかと考えている


実際可処分所得も低下しているし、昔のように貧乏だけど農家だから食べ物はあるというような時代から賃金労働の時代に変わったため、貧乏な人は栄養バランスのとれた食事をとることが難しくなっているからだ


賃金労働では自分の体力と頭脳を一度他人の評価に掛けてから報酬を得るため、単純に体力と頭脳を田畑で食べ物に変換できる農業よりも摂取カロリーがどうしても低くなってしまう


例えば農家の人は持っている荒地を整地して畑に変えれば収穫は増えるし草取りや手入れをしっかりしても収穫は増える
何より直接食べ物を作っている


しかし雇われて働いている賃金労働の人たちは頑張ったからと言って評価され所得が増えるということはなかなかなく、むしろ雇われている理由は「時給790円で文句をいわないから」という理由だったりして、所得が伸びにくいのだ
特に地方では女性の非正規雇用の所得は完全に最低賃金の水準とリンクしている


だから、現代日本のように政府は国民生活に無頓着で企業家も人徳も金儲けの才能も無い社会ではしわ寄せは子供にあらわれてくる


つまりそもそも子供を生まない少子化、子供に対する虐待という口減らし(あるいは間引き)、それから子供の栄養失調みたいな目立たないところに社会のひずみがあらわれてくるわけだ


でもこれは現在進行で起きている出来事なのだ


事実子供を育児放棄して無意識に遺伝子に刻まれた間引き(法律では禁止されている)である虐待や子供を残しての失踪は現代日本では珍しくないし、文部科学省の統計のとおり子供は痩せ始めて栄養不足に陥っている


栄養不足で頭髪が茶髪の子供に黒いスプレーを浴びせる前に子供にまともなミネラルやビタミンを与えられるようにするべきだと私は思う

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ハリーハーロウの悪魔の猿実験を国レベルでやっちゃう日本人

このブログの読者のみなさんはハリー・ハーロウというアメリカの心理学者が行ったアカゲザルの実験をご存知だろうか?

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ハリーフレデリックハーローはアメリカの心理学者であり、母親の分離、依存の必要性、アカゲザルの社会的隔離実験で最もよく知られており、社会的および認知的発達への介護と交際の重要性を明らかにしました。彼の研究のほとんどはウィスコンシン大学マディソン校で行われ、人文心理学者のアブラハムマズローが短期間彼と一緒に働きました。
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アメリカの心理学者ハリー・ハーロウは、愛情について研究するために猿の赤ちゃんに2つのつくりものの猿の母親を与え、猿の赤ちゃんがどのように振る舞うかで親子の愛情を観察しようとしました


ハリー・ハーロウがアカゲザルの赤ちゃんに与えたつくりものの猿の母親の人形は2つ


ひとつは針金でできたつくりもののアカゲザルで哺乳瓶がついていてアカゲザルの赤ちゃんはミルクを飲むことができるという役目があります

そしてハリー・ハーロウが赤ちゃんに与えた2つ目の母親は布製の母親で、布の肌触りは針金のつくりものの母親よりも赤ちゃんのアカゲザルがこのむ肌触りでした


ハリー・ハーロウの観察結果によるとアカゲザルの赤ちゃんは2つ目の布の母親の人形に掴まり、空腹に耐えられなくなると針金でできた母親の人形からミルクを哺乳瓶で飲みました



しかしハーロウが観察した結果、赤ちゃんアカゲザルは布製の母親の人形に掴まり、針金の母親に捕まることを避けるというものでした


このことからハリー・ハーロウは赤ちゃんは食事を与えてくれる相手よりも、肌触りで安心感を覚えられる相手になつくということを発見しました


で、このことを人間に当てはめて考えてみると、日本でもシングルマザーの家庭などで、母親は一生懸命子供のために夜中でもはたらいていても子供はその母の思いはわかっていても愛情の欠如からグレてしまうということがよくあります


これは、お金という食べ物のもとを運んでくるはたらきものでも、心地よく抱きつくことはできない針金の母親だけでは愛情の不足を感じてしまうということで、ハーロウの猿の赤ちゃんの実験とつながって見えてきます


ちなみに日本ではシングルマザーの40%以上が貧困状態なので、そう考えるとシングルマザーの子供はハリー・ハーロウの実験のように母親の一部の機能を意図的に奪われているようなものです


で、日本では友稼ぎを推進する時代の要請(というか貧困化か)のため、子供はまだ乳児の段階で保育園に毎日10時間以上預けられて母親は働くという状況が平然と発生しています


以前は子供が生まれると母親は退職して子供の面倒を見るみたいな感じだったのですが、行き過ぎた共稼ぎ体制とそれにともなう実質賃金の低下は産休育休の取得できない職場や数ヶ月の専業主婦すら許さない家庭の経済状況を日本に作っているのです


私はあまりに小さな子供を保育園に預けることで愛情に生まれながらに飢えた人たちが大量に社会に生まれると以前記事に書いたのですが、ハリー・ハーロウの実験の話を聞いて私は考えをあらためました、日本人が乳児を保育園に預けることがあまりに長時間にわたりそれが週に5日や6日になれば、ハリー・ハーロウの研究結果に従うとすれば、子供は母親を針金の母親と認識し、保育園の保母さんを母親と認識し、日本人の家族のあり方が完全にぶっ壊れることになることは避けられません



しかも共働きの家庭の子供では、まだ乳児なのに保育園に預けられた乳児はその後幼児になっても小学生になっても親と長い時間をおくることはできなくなり、親が出勤するまえの目覚めてからの1時間ほどと、親が帰宅してから眠るまでの3時間程度しか親と同じ時間を過ごせないわけです


つまりまともな親子関係無しで下手すると成人まで過ごすわけです


日本政府は共働きを推進していますからこの流れは今後大規模になるわけです


そう考えると日本国内の若者たちは根本的に愛情の欠損した人間性をもつ人たちということになりそんな人たちは私に言わせれば乳牛の一生のように経済活動のために生涯を犠牲にさせられる存在であると思います


仕事に行くからという理由で母親は子供を残して出勤してしまい代わりに子供には保育園の保母さんがあてがわれるのですが、だけど保育園の保母さんは結局は他人でしかなく実の母の代わりにはなりません

だから愛情を求めて子供が保育園の保母さんに甘えるのですがそれは「仕事としてのお守り」であり、母と子の無私の愛情ではありません


そのため子供は苦しむことになるわけです


そして愛情の欠損した人たちが形成されるわけですが、そんな人たちが増えれば社会にかなり悪影響を与えることはさけられません

何しろ母親の愛情が欠如して育った人なので思いやり自体認識できないかもしれません


しかもその人は永久に愛情というなにかを認識できないかもしれないのです


今日本政府のすすめている共働きの推進は目先のGDPを上げるかもしれませんが愛情を永久に認識できない経済活動に人生を犠牲にさせられる人たちを大量に生み出している可能性があります


ちなみにハリー・ハーロウの実験で使ったアカゲザルの赤ちゃんは最後はこうなりました


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そのようにして育った子どもは他のサルから社会的に まったく隔離されています。このようなサルは大人になったとき、身体は健康ですが、精神的・社会的には健康とはいえない 状態になっていました。無気力で、鬱状態です。ほかのサルと 一緒の檻に入れても、怖がって遊べません。普通、サルは子ザ ルをいじめませんが、子ザルをいじめたり、性行動ができず、社会的に孤立します。そのよ うなサルがたまたま妊娠しても、子育てができず、子どもが死んでしまいました。
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日本人は何をモチーフに入れ墨を入れるべきなのか?

日本では今、外国人観光客が増えているからという理由で入れ墨を入れている人を温泉に入れるようにするべきだという議論がある

しかし、私は最高に油断する場所である温泉に入れ墨を入れている人を入れることをするべきではないと考えているのだが、みなさんはどうだろうか?


日本でも入れ墨を入れる人はいるわけなのだが、私からみて不思議なのは、高いお金を払い痛い思いをしてまで手足に入れ墨を入れておいて、なぜか日本で入れ墨を入れている人の多くは入れ墨を隠して生活をしているということだ


本来、入れ墨を入れるというのは言うなれば一生モノのオシャレをしたと言うものであり、一張羅のスーツみたいなもんであるため、なるべく人に見せるべきだと私は思う(もちろん入れ墨に生理的に拒否感を感じる人が多いという事実はあるが)

しかしせっかく入れたにも係わらず、日本で入れ墨を入れている人の多くは暑い夏でも長袖シャツを着て入れ墨を隠して生活をしている



で、私はなぜ入れ墨を入れた人はなぜわざわざ入れた入れ墨を隠すのか?と言えばその入れ墨のモチーフの意味を聞かれた時にうまく理由が説明できないからではないか?と私は考えている


つまり、南米のギャングのように若くして死んでしまった友達の名前を刻もうとしても、安全な日本では不良であっても友達はなかなか死なないし、そもそも殴り合いすらほとんどしない


また宗教モチーフを入れ墨しようとしてもそもそも日本人は信仰心が薄すぎるし、キリスト教やブードゥーと違い仏教モチーフはなんか違う気がする、なんていうかミステリアスさがないからいまいちかっこよくないのだ


その結果日本人は入れ墨に彼氏彼女の名前を入れたり、普通に健康な家族の名前や冗談みたいなデザインの入れ墨を入れてしまう


その結果夏でも長袖シャツで入れ墨を隠すハメになってしまう


なぜならそこには人に説明できる内容がないからだ


さらに日本人が入れる入れ墨の問題点は日本人は日本語を使うという点だ


つまり漢字とひらがなとカタカナを使うわけなのだが、実はこの3種の文字、入れ墨に向かない文字だ

なぜなら漢字は複雑すぎるしひらがなはかわいすぎるしカタカナは入れ墨に向くフォントが無い

逆にアルファベットはどうなのか?というと、西洋では表音文字であるアルファベットをあえて崩したり尖らせたりして書くことでフォントを作るみたいなことがなされてきた、それはなぜかと言えば聖書を装飾的な文字で書くためだ


その結果、日本人は英語で入れ墨を入れるわけだが問題はそれを本人も正しいのかよくわからないまま入れ、しかも周りの友達もそれを理解できなかったりするw


その結果、本人も友人も理解できない文章の英語の入れ墨を「それどういう意味?」と聞かれることになり、結果入れ墨を入れた人はそれをめんどくさく感じ、入れ墨を隠して生活をすることになる


だから日本人は入れ墨を入れる時はモチーフに細心の注意を払い、どういう意味か聞かれた時に「へー」と言われる程度の説得力が持たせられなければ入れ墨を入れるべきではない

おそらく現代の子供は歴史的に見て最も愛に飢える子供になると見られる

家の近所の幼稚園では夜7時でも預けられた子供がいる

家の近所の学童保育では大勢の子供が金網のフェンスとボールが遠くに飛び出さないために隙間なく蓋をするように設置された網の下で恐ろしく狭い庭を走り回っている



私の予想ではこれから生まれる子供は人類の歴史の中で最も愛に飢える子供になる可能性が高い


現在、日本では子供は面倒を見るもの可愛がるものではなく預けるものになってしまっている


日本の女性は日本の男性の所得の低下のせいで就労しないといけない環境にあるため、子供を公営の保育園に預けて自分は時給1000円以下で働くという本末転倒な状況にある

私の考えでは、あまりに所得の低い九州や北東北などの場合、下手に保育所や幼稚園を税金で開設するよりも出産した人に給付金をしたほうが明らかに安上がりだと思うのだが、日本政府はそんなことは決してしない


なぜか?それは保育所のサービスはGDPに加算されるが、自宅で育児をしてもGDPには加算されないからだ
それに支持者の保育園経営者に補助金で迂回賄賂もできない


で、日本ではまだ言葉も話さないうちに子供を預けてしまうという時代に突入しているわけだが、これに既存の小学校中学校高校、進学塾、習い事、部活動、そして大学あるいは専門学校そして学童保育が加わると、まるで子供から親を引き離す前提での育児をする社会が出来上がるため、親と子供が接触せずに成長していく状況になると私は考える


その先にあるのはなにかといえば、文化の断絶と家族関係の破綻だと思う、同時に家族と同じ時間を過ごさないため言語能力や対人能力も大きく欠如するはずだ、保育士は親とは違うからだ


親と子、家族が一緒にいる時間があまりに少なければ、もはや家族は群れとしての集団ではなく同じ巣に住んでいる個体の集まりになってしまう

これでさらに親が土日祝も出勤する職場ならもっと危険で、さらに親子の接触は減る


すると共通の考え方や思い出を共有することが減るわけで、家族から知識や考え方や常識そして愛情を受け継ぐ量が減るので両親がいるのにまるで片親家庭とか施設育ちの人のようにどこかが欠けている性格になってしまうことが考えられる


もしかすると放置されすぎてテレビの見すぎで田舎に住んでいるのにきれいな標準語で喋る人とかが生まれるかもしれないww

それから同情とか共感という感情が無い人が大量に現れるかもしれない

あるいは鳥類の雛のようにたまたま目についた相手を無条件で信用してついていくかもしれない(鳥の雛は羽化して始めてみたものを親と認識する)


そして放置されすぎてそもそも愛情がよくわからないためぼんやりとした孤独感、社会的疎外感みたいなものを感じることになるかもしれない


しかも本人はその原因が何なのか気づくことすらできないのだ

インタラクティブであることを諦めた日本の評論家と企業

インタラクティブとは双方向という意味だ

つまり自分が何かを発信した時相手も発信してくる、そしてそれを交互に繰り返すというような状態を表す


で、インタラクティブな環境の代表例がインターネットだ

例えば丸山穂高議員とインターネットの世界のオワコン偶像であるひろゆきが尖閣諸島に行くいかないでTwitter上で数回メッセージのやり取りをしたように、インターネットの世界の面白いのは相手がインターネットの世界にアカウント、つまりメールアドレスでもTwitterのアカウントでもFacebookのアカウントでも、なんなら個人のホームページのコメント欄のように書き込むスペースがあれば相手がAKB48のメンバーだろうがドナルド・トランプだろうがコメントを書き込むことで相手に自分の意思を伝えることができるという点だ


これは人類の歴史の中で画期的なことである


例えば日本では明治時代以前は天皇は御所のすだれの向こうに座っているもので、ごく身近な臣下や世話係しか顔を見ることすらできなかったし、そもそも御所から外出することすら少なかった


また、中国の皇帝も部下が皇帝に近づくたびにお辞儀をさせたり跪かせたりするという面倒なルールを設けていて、今の時代庶民がTwitterでドナルド・トランプのツイートにコメントを書くみたいなことはありえなかった



だからインターネットの創成期にインターネットに関わった人たちがインターネットって自由なんや!と思ったのも無理はない



で、インターネットが面白いと感じるのはインタラクティブ(双方向)コミュニケーションがとれるからで、ニコニコ動画が人気が出たのは配信中の人が見に来た人の書き込むコメントに答えることができたからと言うのが大きい


後続のYoutubeやビリビリ動画もコメントを動画配信中の配信者が読み上げるという文化があることを見ると、やはりインターネットの双方向コミュニケーションの威力はすごい

また、アマゾンドットコムの商品のコメント欄もそうだ

商品のレビューを購入者が書き込むための欄なのだが、時々とんでもない文才を持つ人や、このひとコンサルタントかよ?と言う鋭い分析をする人がいるから面白い

アマゾンドットコムが急成長した背景には商品のレビュー欄の影響も大きいとされている

悩んでいる人にとっては商品のレビューがまるで販売員の解説のような役目を果たしているからだ

つまりアマゾンにとっては商品のレビュー欄はある種の財務諸表に現れることのない資産なのだ


しかし、日本ではインターネットは今後インタラクティブであることをやめるかもしれない


例えばYoutubeに日本企業や日本のマスコミがアップロードしている動画ではコメント欄を仕えないようにしていることがとても多い


これは日本企業や日本のマスコミの中の人がインタラクティブであることに耐えられないメンタルの弱さをしているからだ


日本人はYoutubeという不特定多数の人たちが見るウェブサイトに自分たちの作品であるニュース動画や商品の動画を批判されることに耐えられないのだ

これはおそらく日本人の精神性が関係しているのだと私は思う

なぜなら日本では職場や学校での理不尽なルールやパワハラが横行しているのだが、これはなぜかといえば日本人が理不尽に反抗できずその場で従うことを選ぶという精神性を持っているからに他ならない


例えばクリスマスのケーキの自腹購入のノルマはどうだろうか?


日本人のほとんどは創価学会含めて仏教系なのでクリスマスというキリスト教系のイベントであるクリスマスを祝う義理はないと言ってよい、というかキリストは仏教の人から見れば仏の敵もいいところだwww


しかし、現実としてクリスマスケーキのノルマ、それから恵方巻きなどのノルマが存在している

もし、これがヒンドゥー教徒やイスラム教徒相手だったらおそらく暴力沙汰になるはずだ


しかし、日本人はノルマのクリスマスケーキを受け入れてしまう


しかし、インターネットの世界のYoutubeのコメント欄のように「聞きたくないことは聞かなくて良い」という選択ができるなら話は別で、日本人はYoutubeの視聴者の罵倒や悪口コメントなど見て無視することができないため、コメント自体をできないようにブロックしてしまう



そしてその動きはYahooニュースの記事でもそうで、ニュース記事にコメント欄が無いという記事がだんだん増えてきている


つまりインタラクティブなインターネットの世界にあって言いっぱなしの情報発信をしているわけだ


これはつまり俺は言いたいことを言う、でも反論は聞かないというもので、これは悪いインターネットだww



ヤフーニュースの記事にしておいて、反論は受け付けたくないというのは、私はおかしいと思う


そんなに反論が怖いなら個人のブログで書いとけば、あるいはホリエモンみたいなバカ信者がターゲットのメルマガでいいと思うからだ


インタラクティブであることを諦めた日本の企業とマスコミの姿勢はインターネットを双方向のやり取りができる空間から、インターネットを掲示板に貶める行為に他ならない


張り紙をしておいて読みたいやつは読めという時代となんら変わらない


日本のマスコミやメディアや企業のインターネットはインターネットではない

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