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日本人は何をモチーフに入れ墨を入れるべきなのか?

日本では今、外国人観光客が増えているからという理由で入れ墨を入れている人を温泉に入れるようにするべきだという議論がある

しかし、私は最高に油断する場所である温泉に入れ墨を入れている人を入れることをするべきではないと考えているのだが、みなさんはどうだろうか?


日本でも入れ墨を入れる人はいるわけなのだが、私からみて不思議なのは、高いお金を払い痛い思いをしてまで手足に入れ墨を入れておいて、なぜか日本で入れ墨を入れている人の多くは入れ墨を隠して生活をしているということだ


本来、入れ墨を入れるというのは言うなれば一生モノのオシャレをしたと言うものであり、一張羅のスーツみたいなもんであるため、なるべく人に見せるべきだと私は思う(もちろん入れ墨に生理的に拒否感を感じる人が多いという事実はあるが)

しかしせっかく入れたにも係わらず、日本で入れ墨を入れている人の多くは暑い夏でも長袖シャツを着て入れ墨を隠して生活をしている



で、私はなぜ入れ墨を入れた人はなぜわざわざ入れた入れ墨を隠すのか?と言えばその入れ墨のモチーフの意味を聞かれた時にうまく理由が説明できないからではないか?と私は考えている


つまり、南米のギャングのように若くして死んでしまった友達の名前を刻もうとしても、安全な日本では不良であっても友達はなかなか死なないし、そもそも殴り合いすらほとんどしない


また宗教モチーフを入れ墨しようとしてもそもそも日本人は信仰心が薄すぎるし、キリスト教やブードゥーと違い仏教モチーフはなんか違う気がする、なんていうかミステリアスさがないからいまいちかっこよくないのだ


その結果日本人は入れ墨に彼氏彼女の名前を入れたり、普通に健康な家族の名前や冗談みたいなデザインの入れ墨を入れてしまう


その結果夏でも長袖シャツで入れ墨を隠すハメになってしまう


なぜならそこには人に説明できる内容がないからだ


さらに日本人が入れる入れ墨の問題点は日本人は日本語を使うという点だ


つまり漢字とひらがなとカタカナを使うわけなのだが、実はこの3種の文字、入れ墨に向かない文字だ

なぜなら漢字は複雑すぎるしひらがなはかわいすぎるしカタカナは入れ墨に向くフォントが無い

逆にアルファベットはどうなのか?というと、西洋では表音文字であるアルファベットをあえて崩したり尖らせたりして書くことでフォントを作るみたいなことがなされてきた、それはなぜかと言えば聖書を装飾的な文字で書くためだ


その結果、日本人は英語で入れ墨を入れるわけだが問題はそれを本人も正しいのかよくわからないまま入れ、しかも周りの友達もそれを理解できなかったりするw


その結果、本人も友人も理解できない文章の英語の入れ墨を「それどういう意味?」と聞かれることになり、結果入れ墨を入れた人はそれをめんどくさく感じ、入れ墨を隠して生活をすることになる


だから日本人は入れ墨を入れる時はモチーフに細心の注意を払い、どういう意味か聞かれた時に「へー」と言われる程度の説得力が持たせられなければ入れ墨を入れるべきではない

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おそらく現代の子供は歴史的に見て最も愛に飢える子供になると見られる

家の近所の幼稚園では夜7時でも預けられた子供がいる

家の近所の学童保育では大勢の子供が金網のフェンスとボールが遠くに飛び出さないために隙間なく蓋をするように設置された網の下で恐ろしく狭い庭を走り回っている



私の予想ではこれから生まれる子供は人類の歴史の中で最も愛に飢える子供になる可能性が高い


現在、日本では子供は面倒を見るもの可愛がるものではなく預けるものになってしまっている


日本の女性は日本の男性の所得の低下のせいで就労しないといけない環境にあるため、子供を公営の保育園に預けて自分は時給1000円以下で働くという本末転倒な状況にある

私の考えでは、あまりに所得の低い九州や北東北などの場合、下手に保育所や幼稚園を税金で開設するよりも出産した人に給付金をしたほうが明らかに安上がりだと思うのだが、日本政府はそんなことは決してしない


なぜか?それは保育所のサービスはGDPに加算されるが、自宅で育児をしてもGDPには加算されないからだ
それに支持者の保育園経営者に補助金で迂回賄賂もできない


で、日本ではまだ言葉も話さないうちに子供を預けてしまうという時代に突入しているわけだが、これに既存の小学校中学校高校、進学塾、習い事、部活動、そして大学あるいは専門学校そして学童保育が加わると、まるで子供から親を引き離す前提での育児をする社会が出来上がるため、親と子供が接触せずに成長していく状況になると私は考える


その先にあるのはなにかといえば、文化の断絶と家族関係の破綻だと思う、同時に家族と同じ時間を過ごさないため言語能力や対人能力も大きく欠如するはずだ、保育士は親とは違うからだ


親と子、家族が一緒にいる時間があまりに少なければ、もはや家族は群れとしての集団ではなく同じ巣に住んでいる個体の集まりになってしまう

これでさらに親が土日祝も出勤する職場ならもっと危険で、さらに親子の接触は減る


すると共通の考え方や思い出を共有することが減るわけで、家族から知識や考え方や常識そして愛情を受け継ぐ量が減るので両親がいるのにまるで片親家庭とか施設育ちの人のようにどこかが欠けている性格になってしまうことが考えられる


もしかすると放置されすぎてテレビの見すぎで田舎に住んでいるのにきれいな標準語で喋る人とかが生まれるかもしれないww

それから同情とか共感という感情が無い人が大量に現れるかもしれない

あるいは鳥類の雛のようにたまたま目についた相手を無条件で信用してついていくかもしれない(鳥の雛は羽化して始めてみたものを親と認識する)


そして放置されすぎてそもそも愛情がよくわからないためぼんやりとした孤独感、社会的疎外感みたいなものを感じることになるかもしれない


しかも本人はその原因が何なのか気づくことすらできないのだ

インタラクティブであることを諦めた日本の評論家と企業

インタラクティブとは双方向という意味だ

つまり自分が何かを発信した時相手も発信してくる、そしてそれを交互に繰り返すというような状態を表す


で、インタラクティブな環境の代表例がインターネットだ

例えば丸山穂高議員とインターネットの世界のオワコン偶像であるひろゆきが尖閣諸島に行くいかないでTwitter上で数回メッセージのやり取りをしたように、インターネットの世界の面白いのは相手がインターネットの世界にアカウント、つまりメールアドレスでもTwitterのアカウントでもFacebookのアカウントでも、なんなら個人のホームページのコメント欄のように書き込むスペースがあれば相手がAKB48のメンバーだろうがドナルド・トランプだろうがコメントを書き込むことで相手に自分の意思を伝えることができるという点だ


これは人類の歴史の中で画期的なことである


例えば日本では明治時代以前は天皇は御所のすだれの向こうに座っているもので、ごく身近な臣下や世話係しか顔を見ることすらできなかったし、そもそも御所から外出することすら少なかった


また、中国の皇帝も部下が皇帝に近づくたびにお辞儀をさせたり跪かせたりするという面倒なルールを設けていて、今の時代庶民がTwitterでドナルド・トランプのツイートにコメントを書くみたいなことはありえなかった



だからインターネットの創成期にインターネットに関わった人たちがインターネットって自由なんや!と思ったのも無理はない



で、インターネットが面白いと感じるのはインタラクティブ(双方向)コミュニケーションがとれるからで、ニコニコ動画が人気が出たのは配信中の人が見に来た人の書き込むコメントに答えることができたからと言うのが大きい


後続のYoutubeやビリビリ動画もコメントを動画配信中の配信者が読み上げるという文化があることを見ると、やはりインターネットの双方向コミュニケーションの威力はすごい

また、アマゾンドットコムの商品のコメント欄もそうだ

商品のレビューを購入者が書き込むための欄なのだが、時々とんでもない文才を持つ人や、このひとコンサルタントかよ?と言う鋭い分析をする人がいるから面白い

アマゾンドットコムが急成長した背景には商品のレビュー欄の影響も大きいとされている

悩んでいる人にとっては商品のレビューがまるで販売員の解説のような役目を果たしているからだ

つまりアマゾンにとっては商品のレビュー欄はある種の財務諸表に現れることのない資産なのだ


しかし、日本ではインターネットは今後インタラクティブであることをやめるかもしれない


例えばYoutubeに日本企業や日本のマスコミがアップロードしている動画ではコメント欄を仕えないようにしていることがとても多い


これは日本企業や日本のマスコミの中の人がインタラクティブであることに耐えられないメンタルの弱さをしているからだ


日本人はYoutubeという不特定多数の人たちが見るウェブサイトに自分たちの作品であるニュース動画や商品の動画を批判されることに耐えられないのだ

これはおそらく日本人の精神性が関係しているのだと私は思う

なぜなら日本では職場や学校での理不尽なルールやパワハラが横行しているのだが、これはなぜかといえば日本人が理不尽に反抗できずその場で従うことを選ぶという精神性を持っているからに他ならない


例えばクリスマスのケーキの自腹購入のノルマはどうだろうか?


日本人のほとんどは創価学会含めて仏教系なのでクリスマスというキリスト教系のイベントであるクリスマスを祝う義理はないと言ってよい、というかキリストは仏教の人から見れば仏の敵もいいところだwww


しかし、現実としてクリスマスケーキのノルマ、それから恵方巻きなどのノルマが存在している

もし、これがヒンドゥー教徒やイスラム教徒相手だったらおそらく暴力沙汰になるはずだ


しかし、日本人はノルマのクリスマスケーキを受け入れてしまう


しかし、インターネットの世界のYoutubeのコメント欄のように「聞きたくないことは聞かなくて良い」という選択ができるなら話は別で、日本人はYoutubeの視聴者の罵倒や悪口コメントなど見て無視することができないため、コメント自体をできないようにブロックしてしまう



そしてその動きはYahooニュースの記事でもそうで、ニュース記事にコメント欄が無いという記事がだんだん増えてきている


つまりインタラクティブなインターネットの世界にあって言いっぱなしの情報発信をしているわけだ


これはつまり俺は言いたいことを言う、でも反論は聞かないというもので、これは悪いインターネットだww



ヤフーニュースの記事にしておいて、反論は受け付けたくないというのは、私はおかしいと思う


そんなに反論が怖いなら個人のブログで書いとけば、あるいはホリエモンみたいなバカ信者がターゲットのメルマガでいいと思うからだ


インタラクティブであることを諦めた日本の企業とマスコミの姿勢はインターネットを双方向のやり取りができる空間から、インターネットを掲示板に貶める行為に他ならない


張り紙をしておいて読みたいやつは読めという時代となんら変わらない


日本のマスコミやメディアや企業のインターネットはインターネットではない

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なんちゃって大卒の増加

今日本では大卒であっても大卒の水準の高さの給与を貰えない大卒者が増えている


また、図体ばかり大きいのに、従業員にはボーナスすら無い安月給を押し付けている会社が増えてきている


問題の背景には、大卒であっても大卒並みには学力を身につけていない大卒の人が多いからであると私は見ている


以前、確かブルームバーグの記事で中国の大学の経済学の教授が卒業生たちに「もし卒業後君たちが金持ちになっていなければ私の生徒だったと言わないでくれ」と発言したというニュースがあった


これはつまり、この経済学の教授は自分の教えたことに自信があるから「私から学べば金持ちになる」と信じているわけだ


これは学ぶ学生からすれば少し傲慢に聞こえるが私は納得する


例えばピアノの教室に行けばピアノが上手くならないとピアノの先生とは言えないし、水泳教室に通って泳げるようになれないならスイミングスクールの先生失格だ



同じく、経済学の教授から学んである程度金持ちになれないならその教授は先生失格なのだ



今日本ではよくわからん〇〇インストラクターや〇〇検定が増加する傾向があり、資格ビジネスが流行っている

しかしその一方で資格は金にならないことも事実である



なぜなら資格と仕事は結びついていないことが多いからだ

むしろ資格の中で理容師や調理師のように取れたら稼げるあるいは実務能力があるというのは異端であるw

例えば私はガス溶接の資格を持っていて講習を受けたのだが、講習の中で実際にガストーチ(アセチレンと酸素が吹き出して、実際に火が出る部分)を持ったのは当時の100人くらいの中で15人くらいだった

つまり、一部の人しか講習なのにガストーチを触らなかったのだ

だから当然私はガス溶接の資格を軽蔑している


ガス溶接の資格は所詮講習を受けた人であることを証明するだけであり、実務能力を証明してくれない

私はほかに玉掛け危険物4を持ってはいるが実務能力にはなんら自信がない、なぜなら資格は今や素人が仕事に気軽につくことを妨害する参入障壁であり実務と関連は少なく、資格は所詮〇〇安全協会の資格ビジネスでしかない場合が多いのだ


資格ビジネスをしているなんちゃら協会はその資格で稼げなくても中国の少し傲慢な経済学の教授のように自分の授業に自信を持っていないし、水泳教室の先生のように先生失格だと少しも思わない



さて、現代の日本で大卒なのに大卒の給与水準をもらえない人はなんなのだろうか?


多くが親の金で仕送りをもらい、塾に通い家庭教師をつけてもらい大学を出たと言うのに?


大卒とは今や資格ビジネスなのだろうか?


そして卒業生たちにまともな給与水準を与えられない日本の大学教授は無能なのだろうか?


自動車学校は30万円程かければ自動車免許を取得させてくれる、大学はその数倍も取るのに、なぜ稼げない大卒が多いのか?


なんちゃって大卒が多いのが悪いのか、もうわからん

日本の私立学校は自主性がない

日本の財政状況が悪いので増税が必要だと言う政治家に私は疑問を感じる


なぜなら、もしそんなにやばいなら公務員の昇級を停止し、ボーナスも停止、役所の開庁時間も2時まで、国会議員も4分の1にしないのかと思うからだ


消費税の増税は可処分所得を確実に減少させる悪手であり、まともな神経をしているなら、してはいけない事だとわかるはずだ


今日本は国民から自由を奪う方向に政策が実行されている


思想もそうだし行動もそう

そして財産も自由を奪おうとしている


例えば政治家は大学や高校の授業料無償化と言うが、果たしてそれは国民の望みなのだろうか?


答えはいいえだ

いつのまにか、子供の学校の授業料すら政府の補助を受ける流れができているが、経済学で言えば国民は自分の子供の学校の授業料は自分で払える所得を得れる様にするのが政府の役目であると私は思う


しかし今の政府のやり方だと徴税してそこから授業料を支出する事で、国民と学校のあいだに政府が介在する方向に持っていこうとしている


実はこれ「私立学校」の為の賄賂である


これまで有象無象の学校法人が作られてきたが、少子化によって今後学校法人は生き残れない学校が出てくる


しかし、授業料を無償化すれば大学専門学校の進学率が上がり、学校法人は少しの間生き残ることができるようになる


つまり日本政府は私立の学校である学校法人を補助しようとしている訳だ


そうすれば文部科学省の官僚は天下りできるし学校法人を言いなりにできる(原資は税金なのに)


このように、日本の政府の官僚や政治家は税金をどう分配するかを通じて権力を手に入れるのが好きだ


だから私は高校や大学の授業料無償化には反対だ

本来淘汰される学校法人を補助金という点滴で生き残らせてツケを国民に押し付けるからだ



また、そもそも私立の学校が政府から補助金を受け取る今の体制が良くないとも私は思っている


なぜなら私立の学校は本来政府の教育方針から外れて授業料が高いけども、生徒に高い教育やプラスアルファを与えると言う商売であるはずで、税金から補助金を受け取る時点で私立学校の本質から外れているのだ


それはヨーロッパの金持ちや貴族の家系の子供が行く名門の寄宿学校がそういう教育をしているし、アメリカにも同様の私立学校があるし、日本でも幕末期には先進的な思想を持った藩主がいる藩は独自の学校である藩校を作り、選抜された中からエリートを育成したり海外に留学させていた


つまり、私立は本来特別な教育を与えてくれる選抜者の為の学校なのだ


しかしその為には政府の教育方針から少し外れるのは当然だ


いや、逆に日本の私立の学校法人はそもそも私立の学校の定義に反している気すらしてくる

なんせ、特別な教育を与えてくれるわけでもないし、エリート教育を与えてくれるわけでもない



つまり日本の現代の私立の学校法人は単なる民営の学校なのだ

むしろ滑り止めとして受験されている学校も多いしな



で、私が日本の私立の学校がエリート教育のためでないことに気づき、次に思ったのはアメリカやオーストラリアやニュージーランドで見られた先住民のための学校と日本の私立学校の学校法人の共通点だ


北アメリカやオセアニアでは、支配層となった白人は先住民であるネイティブアメリカンやアボリジニやマオリ族を文化的に去勢する為に学校を使った


文化的に去勢とは何かと言えば、彼らの持つ伝統の生活様式や信仰や民族の神話を奪うと言う意味だ


北アメリカやオセアニアで、白人はカトリックやプロテスタントの教会組織に学校を作らせて、ネイティブアメリカンやアボリジニの子供を親から引き離して教会の神父や牧師が教師となって学校を運営して、現地人の子供を彼らの民族的な伝統や習慣文化神話から隔離して育てた


その結果、ネイティブアメリカンもアボリジニも、それぞれネイティブアメリカンなのに考え方は白人、アボリジニなのに洋服を着て十字架に拝むように「文化的に去勢」されてしまった

こうなれば彼らは自分で勘違いして名誉白人気取りになってネイティブアメリカンやアボリジニによる白人排斥運動は起きない(まるでネトウヨ だな)


つまり幕末期の藩校やヨーロッパの寄宿学校のようなエリート教育を与えるのが本来の私立の学校であるのだが、北アメリカやオセアニアでの宗教系の学校は現地人を白人に都合よく作り変えるための学校だった



これを踏まえて日本の私立学校を見ると高校や大学の中には宗教系(キリスト教系)の学校法人が意外と多いことに気づく



そう言う学校に入れば、浄土真宗だろうが曹洞宗だろうが、賛美歌を歌わされるし、聖書を読まされる


なぜ国民の多くが仏教徒(新興宗教も仏教系が多い)である日本にキリスト教系の学校があるかと言えば、おそらく日本人も文化的に去勢されようとしていたのかもしれない

そしてもともと仏教徒が強かった東南アジアのベトナムやタイやミャンマーは白人による文化的去勢を免れているという事に気づいて欲しい


私は現代の日本で私立の学校法人に授業料無償化を適応するには間違いであると思う


早稲田大学や慶應大学を作った明治の大隈重信や福沢諭吉のような教育者はもはや日本におらず、学校法人も事業として運営されるかあるいは宗教系で、日本人を文化的に去勢する悪の組織かである場合が殆どだからだ

授業料が高くとも、元が取れる教育を得られるなら、その学校は生き残れるはずだ