<米国株テクニカル分析>ソシアルアドバンテージ 香港株、米国株、運輸株、エリオット波動、乃木坂、北野日奈子、九州のブログ

横綱審議委員会のアホどもはグローバル化を理解していない時代遅れだ

品格

曖昧な判断基準

横綱相撲

数値化できない言葉

態度が悪い

日本的な考え方




横綱審議委員会は自省すべきだ

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横綱審議委員会メンバー(現職)
現任委員
2017年1月現在

氏 名     役 職 就任年月
岡本昭 岡安証券最高顧問 2010年3月
勝野義孝 弁護士 2013年3月25日
北村正任 毎日新聞社会長 2009年1月
高村正彦 政治家 2013年3月25日
杉田亮毅 元日本経済新聞社社長 2013年3月25日
都倉俊一 作曲家、日本音楽著作権協会会長 2015年3月23日
宮田亮平 東京芸術大学学長 2010年3月
矢野弘典 中日本高速道路顧問 2012年7月
山内昌之 東京大学名誉教授 2015年3月23日
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横綱審議委員会は何考えてんだろう?

日本の大相撲はすでに「日本人だけのものじゃない」のだ

これまでも小錦や武蔵丸とか曙とか入れてきた

というかその時点で、相撲は日本だけのものじゃない

稀勢の里が19年ぶりに横綱になったけど、逆に言えば「外人に横綱乗っ取られてた」と言える


今更横綱審議委員会が、品格とか「バカも休み休み言え」って感じだ

相撲は国技と言うくせに、モンゴル人に負けないような横綱候補の力士を育成できない「日本の相撲界」全体が悪いのだ

白鵬が取り組みのときにかちあげばっかして何が悪い?



品格とかそういう以前に日本の大相撲がなめられてて、しかもそれを止められる日本人がいなかった

これが悪いのだ

そんなに悔しいなら勝てるやつをレスリング部とかから連れてくればよかったのだ

さらに言えば、白鵬は日本人じゃない(現時点)

「相撲をやりに日本に来たモンゴル人」なのだ

そんなに品格が大事なら、モンゴル語で「品格」について説明すればいいのだ

そして、横綱相撲がそんなに大事なら「ハンデ戦」にすればいいじゃないか?
明文化されてないルール?
相撲は神事?
相撲はスポーツ?


外人にそんなのわかんないし関係ないよ

外人を土俵に載せた時点で大相撲はすでに本来の伝統から逸脱した

だから、明文化するしか無い

しかしそれをしてしまって、それが果たしていいことなのかわからない

しかし、変化はそれ自体が変化をもたらして連鎖していく

変わらないといけないのは白鵬だけでなく日本人と横綱審議委員会もそうなのだ

日本人限定のどローカルなスポーツであり伝統だった相撲にはもう戻れないのだと思う



シエ

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足切り落とされて反省?するわけねーだろwww カーレンとおばあさん

今回はアンデルセンの赤い靴についての疑問

【 赤いくつ 】
デンマークの世界的な童話作家、ハンス・クリスチャン・アンデルセンの創作童話。
貧しい少女カーレンは、病気の母親と2人暮らし。ある日、靴を持たない彼女は足に怪我をしたところを靴屋のおかみさんに助けられ、赤い靴を作ってもらう。その直後、看病も虚しく母親は死んでしまった。カーレンは母親の葬儀に赤い靴を履いて出席し、それを見咎めた老婦人は彼女の境遇に同情して養女にした。

裕福な老婦人のもとで育てられたカーレンは、町一番の美しい娘に成長した。ある日、靴屋の店先に綺麗な赤い靴を見つけたカーレンは、老婦人の目を盗んで買ってしまう。戒律上無彩色の服装で出席しなければならない筈の教会にも、その赤い靴を履いて行き、老婦人にたしなめられる。それでもまたカーレンは教会に赤い靴を履いていく。老婦人が死の床についているときにさえ、カーレンはその靴を履いて舞踏会に出かけてしまう。すると不思議なことにカーレンの足は勝手に踊り続け、靴を脱ぐことも出来なくなる。カーレンは死ぬまで踊り続ける呪いをかけられたのだった。

夜も昼もカーレンは踊り続けなくてはならなかった。カーレンが看病しなかったばかりに亡くなった老婦人の葬儀にも出席できず、身も心も疲弊してしまう。とうとう呪いを免れるため首斬り役人に依頼して両足首を切断してもらう。すると切り離された両足と赤い靴はカーレンを置いて、踊りながら遠くへ去ってしまった。

心を入れ替えたカーレンは不自由な体で教会のボランティアに励む毎日を送る。ある日、眼前に天使が顕現し、罪を赦されたことを知ったカーレンは、法悦のうちに天へ召されていった。


疑問なのは主人公のカーレンは生まれた時点で貧しいし親も病気で不幸だ
靴を履くことすらできない
「足をけがしたことをきっかけに貰った赤い靴で葬儀に参列した」わけだが、
ここが疑問、そもそも貧乏人はアンデルセンの生きた1800年代、葬儀などロクに上げられなかった、
村の牧師(プロテスタントなら)が一言ありがたいことを言って、粗末な棺桶に入れて埋められて、形ばかりの十字架を立てるだけだった

だからそもそも赤い靴を履いていてもそれを咎める老婦人が来るはずがないのだ

これはアメリカでもそうでアメリカのPrudential(プルデンシャル)生命保険を創業したジョンFドライデンが生きた1875年でも人々は葬式の墓堀人を雇うことすらできない生活を送っていた

アメリカのプルデンシャルは最初、簡易保険としてスタートしたがそれは単に「葬儀」をするためだけの保険だった


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1875年、プルデンシャル・ファイナンシャルは、「プルデンシャル・フレンドリー・ソサエティー」として創業しました。創業者ジョン・F・ドライデンの掲げた基本理念は、「社会の絆である人間愛と家族愛の不朽の原理を実現すること」でした。
その当時のアメリカは、経済恐慌とそれに続く不況の時代でした。更に移民の大量流入により都市はスラムと化し、その不衛生な生活環境は庶民の死亡率悪化を招いていました。
一般の庶民は、現在のアメリカからは想像もつかないほど、貧しく悲惨な生活を強いられており、家族の埋葬費を捻出することさえ困難な状況でした。
しかし当時の生命保険は掛金・保険金とも高額で、一握りの裕福な上流階級の人々が加入しているにすぎませんでした。
ジョン・F・ドライデンは、このような社会の切実なニーズに応えるために、当時イギリスで普及していた労働者保険の導入に努力し、「3 Cents A Week」、つまり、週に3セントという非常に安い掛金で加入できる労働者保険をアメリカで初めて販売したのです。
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カーレンは老婦人に拾われた後、カーレンは教会にも舞踏会にもお気に入りの赤い靴ででかけてしまう


これは貧乏出身の人にありがちなパターンだ、子供の頃服を与えられていない人はワンシーズン同じ服で過ごす傾向があるwwwカーレンも美人に育ったとは言え、そのくせが抜けていない
何しろ貧乏性と、ファッションセンスが無いからしかたないのだwww

私もそうだが5万円持って服屋に入ってもなにも買わずに出て来る

貧乏性ってそんなもんww

そしてお婆さんは死ぬわけだがカーレンがもし実在するならお婆さんに対して悲しむだろうか?




それは無理だ、踊り続けていると「余計なこと」を考える余裕はなくなる

カーレンは踊り続けているんだから泣いてる暇はない

大体お婆さんとは他人で死にかけのときですら舞踏会に行くほど疎遠なのに悲しむわけはない


アンデルセンは古い人間だから、こんな信心のないやつは足切り落とされて当然と思うかもしれないが

カーレンみたいな女は多分「死んでも反省しない」と思う



カーレンは最初から不幸なんだしどうせなら世界の最後まで踊ればいい

予知能力だけでは不足だ カサンドラ

古代、ギリシャでは神は人々の間にいてともに暮らし助言や力を授けたり結婚することもあった。

そんな中ゼウスの息子アポロンから予知能力を受け取ったのがトロイアの王女カサンドラである。

アポロンから愛されたカサンドラはアポローンの恋人になる代わりに予言能力を授かった。しかし予言の力を授かった瞬間、アポローンの愛が冷めて自分を捨て去ってゆく未来が見えてしまったため、アポローンの愛を拒絶してしまう。憤慨したアポローンは、「カッサンドラーの予言を誰も信じないように」という呪いをかけてしまった。カッサンドラーは、パリスがヘレネーをさらってきたときも、トロイアの木馬をイリオス市民が市内に運び込もうとしたときも、これらが破滅につながることを予言して抗議したが、誰も信じなかった。

ここで2つの矛盾がある、
カサンドラに予知能力を与えたアポロンはカサンドラが離れていく未来が予知できなかったのか?
カサンドラが持っていた予知能力は結局無駄だったのか?

1つ目のアポロンの予知能力については「干渉」による変化を読み取れなかったということだ。
現在進行形の世界では、全て相互干渉的であり、つまり、状況を観察していても、自分が手を加える、あるいは参加すれば前提が変化するということなのかなぁと思う。
そして、その変化は神でも見通せないということか?



2つ目のカサンドラの予知能力である。
カサンドラはトロイアの王族である、男尊女卑の当時であっても他の人よりは発言力があったと思うのだが、
トロイア人達が木馬を城内に運びこむのを止めることはできなかった。

カサンドラの悲劇は将来が不確実なことと、説得力の必要性を私達に教えてくれる