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<米国株アメリカ株テクニカル分析ブログ>ソシアルアドバンテージ 香港株、米国株、運輸株、エリオット波動、乃木坂、北野日奈子、九州のブログ

JR九州のキオスクの思い出と富士そば

都会に住むみなさんは、駅のホームに売店があるのを当然と感じて利用しているはずだ

私も鉄道旅行で訪れた先の駅で改札の横じゃ無いホームの上に売店がある駅を見ると「都会だな」と感じている

特にニューデイズ(JR東日本の子会社がやっている駅ナカにあるコンビニ)とか見るとそうだ



新幹線のホームじゃない在来線で売店があると言うのが田舎者にはインパクトがある


つまり売店があると言うことはそこを通る人だけで採算が合うと言うことであり=都会という安易な考えに至るからだ

だから愛知県の名古屋駅の新幹線ホームで食べるきしめんや佐賀県の鳥栖駅で食べるかしわうどん(かしわは鶏肉のこと)を列車やホームからの風景を見ながら食べていると旅情を感じる

気分は桃太郎電鉄だ

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余談だが、私のような九州の田舎者からすると実を言うと中部地方から東のいわゆる関東風のうどんそばは、塩辛いだけで少しも美味しくない

富士そばなど、半分我慢してあとは残したほどだ
最初自分が味覚障害かと思ったほどだ

しかし不思議なことに名古屋のうどんは関東風のいわゆる汁が黒くて出汁の効いていないうどんなのだが、名古屋名物のきしめんは鰹節をかけてあることが多いためか比較的食べられて美味しく感じた
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しかし、実は九州でもほんの15年前くらいまでは、県庁所在地でもない町の駅のホームに売店があったと言うことは書いておきたい


今思うと不思議な気分だが、そういえば、九州がここまで衰退する以前(たしか橋本首相か小渕首相)、昔はJR九州の駅の地元駅のホームにも売店があったのだ

私は駅の売店で母が買ってくれたあの甘ったるい紅茶花伝やアンバサ、そしてファンタグレープが大好きだった

たしかに駅の駅舎は古くてボロくて、太平洋戦争中にアメリカ軍のグラマン(田舎の老人はアメリカ軍の航空機を全部グラマンと言うw)が打ち込んだ機銃弾の跡が残った石塀があったがあったが、今の公衆便所みたいな軽薄無国籍なデザイン(と言うには失礼か)の駅舎よりは味があった

今のよくわからないデザインよりは全然好きだった


JR各社は、もうかなり前からずっと、駅の売店をコンビニであるファミリーマートやセブンイレブンに切り替え続けて来ている


日常的な利用店舗であるコンビニには、地域ごとのお菓子や駅弁のような、昔の非効率だが独自性のある商品は無い(あるいは小さな土産コーナーに押し込まれている)


言うなればテキ屋を排除して短期バイトの大学生やフリーターが店先に立つ最近のお祭りみたいな感じで、鉄道から非日常感やドキドキ感は失われてしまった


例えば東京ディズニーランドでは以下のレストランがある

東京ディズニーランドのレストラン一覧


ワールドバザールのレストラン
① アイスクリームコーン
② イーストサイド・カフェ
③ グレートアメリカン・ワッフルカンパニー
④ スウィートハート・カフェ
⑤ センターストリート・コーヒーハウス
⑥ リフレッシュメントコーナー
⑦ れすとらん北齋

アドベンチャーランドのレストラン
① クリスタルパレス・レストラン
② カフェ・オーリンズ
③ ザ・ガゼーボ
④ スキッパーズ・ギャレー
⑤ スクウィーザーズ・トロピカル・ジュースバー
⑥ チャイナボイジャー
⑦ パークサイドワゴン
⑧ フレッシュフルーツオアシス
⑨ ブルーバイユー・レストラン
⑩ ボイラールーム・バイツ
⑪ ポリネシアンテラス・レストラン
⑫ ロイヤルストリート・ベランダ

ウエスタンランドのレストラン
① キャンティーン
② キャンプ・ウッドチャック・キッチン
③ ザ・ダイヤモンドホースシュー
④ チャックワゴン
⑤ ハングリーベア・レストラン
⑥ プラザパビリオン・レストラン
⑦ ペコスビル・カフェ

クリッターカントリーのレストラン
① グランマ・サラのキッチン
② ラケッティのラクーンサルーン

ファンタジーランドのレストラン
① キャプテンフックス・ギャレー
② クイーン・オブ・ハートのバンケットホール
③ クレオズ
④ トルバドールタバン
⑤ ビレッジペイストリー

トゥーンタウンのレストラン
① ディンギードリンク
② トゥーントーン・トリート
③ トゥーンポップ
④ ヒューイ・デューイ・ルーイのグッドタイム・カフェ
⑤ ポップ・ア・ロット・ポップコーン
⑥ ミッキーのトレーラー

トゥモローランドのレストラン
① スペースプレース・フードポート
② ソフトランディング
③ トゥモローランド・テラス
④ パン・ギャラクティック・ピザ・ポート
⑤ プラズマ・レイズ・ダイナー
⑥ ポッピングポッド
⑦ ライトバイト・サテライト



この中にはどこにもファミリーマート、セブンイレブン、マクドナルド、スターバックス、ケンタッキーフライドチキン、サブウェイなどの文字はない


なぜなら、ディズニーランドは世界観を売っているのであって、一度入園すればそこでは入園者はミッキーやドナルドやミニーなどのディズニーのキャラの絵が描かれたワッフルやミッキーの顔の形にカットされた野菜の入った料理を食べる事になる

そして割高な食事と割高なお土産を買う


つまりディズニーランドは特別なサンクチュアリ(聖域)なのだ



今のJR各社の駅構内の売店をコンビニに切り替えると言うのは、駅の利用者からすると、利便性をひたすら向上させているだけであり、交通機関の運営と言うよりも牛の屠殺場の運営者に似ているように感じる


今のJRは私から見れば駅にやって来た乗客を効率的に列車に詰め込み、始発駅から終点駅までの間に乗り降りさせることが自分たちの仕事だと考えているように見える


しかしそれってつまり、牛の屠殺と同じで、トラックで運ばれてきた牛を肉にする為の屠殺場の処理する工程ラインとほぼ同じなんじゃないか?と思うのだ

例えば牛を運ぶ時には、牛がトラックの中で転倒しないように牛の体同士が密着するようにトラックに乗せる



同じように今のJRの鉄道も、ひと昔前の国鉄の車両と違い、最初から客を立たせることを前提とした車両だらけであり、牛の運搬と同じように人が車両の中で転倒しないように人間の体同士が密着するように列車に乗せる

JRが人間を牛扱いしている証拠に、列車の中でたくさんの痴漢や痴漢冤罪が起きていてもJRは無視し続けている


そう言えば鉄道で通勤している人たちの多くがツノを削られて、去勢されていると言う点でも、JRは牛と似ているなw


私は、駅に入っていく人たちや駅構内の改札を通る人を見ていると、なんだか屠殺場で追い込まれていく牛を見ている気分になる

さながらSuicaやPASMOは牛の耳の耳標ってところか


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果たして、今のJRには鉄道会社としての役割をこれからも期待することは可能なのだろうか?

私はそうは思わない


今のJRは鉄道事業者ではなく、優良な不動産を持っている鉄道事業をしている不動産屋でしかない


鉄道網と言う、ある意味めちゃくちゃ有利な事業を持っているにもかかわらず、それを活用する術を持たず、悪い民営化でしかない


鉄道ファン100人に聞けば、おそらく99人は「私の方が今より上手くやれる」と言うはずだwww


LUMINEやアミュプラザにうつつを抜かすJRの態度に私は疑問を感じる


JRは鉄道と言う独占的な事業をまるで活かせていないのだ


私はJRは毎日通勤通学に大勢の人を処理することに必死で、鉄道本来の魅力や収益力を活かせていないように思う


たしかにJR九州のようにキオスクのコンビニへの転換や、券売機の数を減らす、割引きっぷの廃止、車内販売の終了をすれば、たしかに一時的な収益は上がる

しかしそれっていうのは、自動車やバスと競争しているだけであり、それならカップホルダーも好きに選べるオーディオもある自家用車や目的地付近で降りれるバスには永遠に勝てない



鉄道は鉄道だけが持つ強みで勝たなくてはいけない

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スタバのエスプレッソと長崎新幹線

このブログの読者の皆さんの中でスターバックスのエスプレッソを飲んだことがある方はいますか?


いない?


私もそういえばスターバックスでエスプレッソを飲んでいる人を見たことない


そしてスターバックスのエスプレッソは実は落とし穴商品である


なぜスターバックスのエスプレッソを落とし穴とまでいうかと言えば、それは量がびっくりするくらい少ないからだ


スターバックスのエスプレッソはたったの30ccしかない

これはヤクルトの1本よりも少ない、なんなら大さじ二杯分しかない

だからスターバックスで長居しようとしている時に冒険心をくすぐられてエスプレッソを頼むと、30ccという恐ろしく少ない量のエスプレッソが出てきてあっという間に飲み干してしまう事になる


だから落とし穴商品だ


しかもスターバックスにはドトールのようにお冷のディスペンサーはないので、紙ナプキンやプラスチックのナイフフォークのあるところの牛乳くらいしかお冷がわりになるものがない


だから落とし穴商品


さて、九州では先に開通した南北に博多駅から鹿児島中央駅までを走る九州新幹線に続いて博多駅から佐賀を抜け長崎に至る長崎新幹線も計画されている


私は長崎新幹線も将来的に落とし穴商品になると考えていて長崎行きの新幹線の建設には反対だ


なぜなら、長崎市へはすでに空港と高速道路と在来線の鉄道が整備されていて、ここへさらに長崎新幹線を在来線の線路ではなく専用の高架を通す方式で整備すれば、第4のアクセス手段が整うことになる


しかし、長崎と福岡の間には、空路鉄路高速道路と新幹線のすべてを黒字にできるほどの交通需要は見込めず今後増える見込みもない


つまり、新幹線が博多駅から長崎市まで開通すると交通需要をあっという間に飲み干してしまう訳だ


そうなればスターバックスの紙ナプキン置いてあるとこの無料の牛乳のように長崎県長崎市や佐賀県の自治体からの補助金が投入されて、言うなれば永久に財務面で自立できない負の遺産を作り出してしまう事になる


つまり長崎行きの交通の需要は余りに少ないのだ


スターバックスのエスプレッソと同じだ


鉄道には必ず守るべき原則がある


それは目的地と目的地を結ばないといけないというものだ


つまり都市から田舎方向に向かって線路を引くのはダメであり、都市から都市へと線路を引かなくてはいけないということだ

なぜならもしそうでなくては朝通勤通学者をAからbに運べば車両が昼間反対にBからAへ進む時には車両は空気を運ぶことになるからだ

そうではなくAからもBからも十分に需要があることが大事なのだ


運営に多大な固定資産(車両、設備、駅、線路)を必要とする鉄道は損益分岐点が高いため、常に車両の利用者の稼働率を上げることが大事であり、だからこそ目的地と目的地を結んで走らなくてはいけない


繰り返すが、長崎新幹線はスターバックスのエスプレッソと同じだ


日本の高速鉄道である新幹線は海外のTGVやICEと違い専用の高架を必要としている

そのため損益分岐点はヨーロッパのTGVやICEと比べるとかなり高い

しかも新幹線の場合在来線のように住宅地の開発や商業施設の開業による需要の生み出しが難しいため、長崎新幹線はハードルが高いと言える

フランスドイツイギリスが新幹線のように線路を専用線にすることを避けるのは、在来線との競合と損益分岐点の高さが原因だと言える


長崎新幹線の停車駅となりうる長崎市の人口が40万人、佐世保市が25万人、果たして長崎新幹線を黒字にできるだろうか?


どうしても長崎新幹線を作りたいならやはり線路は専用の高架ではなく在来線との共用が望ましいと思う



ただし、期待されていた外国人観光客は減少に転じるのではないか?という予測も九州では報道されていて、例えばクルーズ船の寄港の減少により福岡市の高島市長が公約としていた博多駅と博多港を結ぶロープウェイの構想は完全に放棄されてしまった


これまで九州を訪れていたクルーズ船はクルーズの期間の都合で九州へと来航していたわけだが、需要も一巡してしまったようだ


むしろ、福岡市と長崎市というコースは東京京都大阪ルート並みにメジャーすぎて今の段階は「来たかった人はだいたい来た後」なんじゃないか?と私は予想している



長崎新幹線を黒字にするには高架を諦めるべきでありなおかつ乗車券以外の収入を増やすこと、リピートをしてもらう方策が必要であり、かなり厳しいと思う




日本の有名な鉄道経営者である小林一三は阪急の沿線に目的地となる施設や住宅地の開発を行ったが、果たしてJR 九州にそれができるかは不明だ


自治体の補助金を受けながら高架の新幹線を建設し在来線を第三セクターとして、さらに長崎新幹線自体も補助金を受けて運行するような肥薩おれんじ鉄道のような悪夢は避けてほしい

IT産業なんてあきらめて九州は資源を活用しろ

稼げる職が無い日本


若者の貧困が問題となっている今の日本では子供食堂だけでなく、今やおとな食堂まで誕生しているそうだ

長く続く日本の雇用環境の悪化の中で貯蓄率が低下しているため簡単な病気ですら通院をためらう人も増えているらしい


今の日本では産業の生産性が著しく低下しているため(原因は小泉政権)、非正規労働者や外国人労働者を使った人件費のダンピングで企業は利益を上げていて、先日のチベットについての記事のように日本の多くの人たちが貴族と奴隷の関係になっていて私にはそれが大変腹立たしく思える


チベット化する日本
http://dispatchtomain.blog116.fc2.com/blog-entry-1485.html

私は、今の日本では若者にやる気があってもキツイけど稼げるという仕事が少ないかそもそも存在しない地域だらけで、結局納得のいかない水準の仕事に就くことを強要されているのであって、ダンピング後の人件費で人が雇える経営者は努力なしに利益を生み出していて、これをチベットの奴隷と貴族に似ていると見ている



歴史と経済学によれば、生産性が低い地域では人は生存に必要な物資を得ることが難しく、生きるためにしばしば豊かなモノ(者&国)の言いなりになってしまう傾向がある

しかもその仕事はしばしば危険で不快で不清潔であり、仕事と報酬のバランスは大きな開きがある


現代でも、例えばネパールの山岳部では女性は思春期以降になるとインドに売春婦として売られてしまうし、フィリピン人は男性も女性も外国で外国船籍の船の船乗りやメイドや建設作業員として外国で外国人のために働くために故郷を離れる

また、中国政府は大勢の自国民を外貨獲得のため、アフリカやアジア各地に送り込んでいる


日本だと九州沖縄東北から毎年春になると就職のために上京していく、特に宮崎県や鹿児島県、熊本県の場合高卒の5割が県外へ行く


とまあこのように貧乏な地域に住んでいる貧乏人は常に豊かな地域や豊かな者の言いなりなわけだが、この状態から今の九州が変化するには経済学の中にある稼ぐ方法を使うしか無い


それは自然界からの資源の採取である


私の考えでは、人間から搾取する時代遅れな経済水準にあり、機械やテクノロジーによる優位を持たない九州で、シリコンバレーの真似事や最先端技術を駆使する産業の発展を期待するのは馬鹿げていて、自称プログラマーを集めてスタートアップカフェもどきを公金で運営しても意味が無いと考えている



次世代の産業の発展のためには現在の産業のサプライチェーンが必要であり、次世代の産業はその地域の資本と既存の設備と研究結果を生かして成長するため、まるで高度な産業の集積していない九州で最先端技術を扱う産業は生まれることはできない

つまり織機を製造していたトヨタとスズキが自動車製造に発展できたのは既に織機という複雑な工業製品を作っていると言う工業製品の製造の下地が出来ていたからで、製造業の資本家がいたからで、かぼちゃの苗にスイカを接ぎ木するのと似たようなことが自動車製造でも起きていたからである



なぜ九州から自動車製造の産業が生まれなかったか?それはやはり工業の集積がなかったからである


結果として、九州では期間工として中部地方のデンソーやアイシン、KYBなどの工場に働きに行く人や九州の工場で働いている人がたくさんいるのに、逆に九州に働きに来る愛知県民はほぼいないわけだ


となると九州でまともな水準の賃金を支払う産業を作るには自然界からの資源の採取しかない



自然界からの資源の採取が具体的に何かと言えば、埋蔵されている鉱物、原油、木材、海産物などの開発と輸出である

つまり明治時代に日本がやっていた鉱山の開発や遠洋漁業や木材の伐採である

なぜ自然界からの資源の採取が九州の産業作りに適しているかといえば、一人当たりの生産性が高いからであると言える

例えば小売業や飲食店の場合、一人あたりの生産性を現状からいきなり1.5倍にするというのはとても難しい

しかし、水産業や林業や鉱山ではより大きな機械を導入することで簡単に生産性を引き上げることができる

これはなぜかと言えば人間の人件費に対して財務的にレバレッジをかけられるからである

極端なことを言えば年収400万の人を三人雇って24時間3交代で5億円の鉱山用の大型トラックを運転させれば、その生産性の高さたるや一人当たり年に数十億円にも達する

その結果、オーストラリアでは鉱山で働いている人の平均年収は1200万円にも達していて、これにさらに福利厚生と日本人より多い有給が付与される


そしてオーストラリアでは鉱山で働いてお金を持っている人のことをキャッシュドアップボーガン(金をたくさん持った愚か者)と言うそうだ



また、漁船に関しても、外国の漁船は3000トンクラスの駆逐艦みたいな大きさの船で操業しているのに日本船は小型で生産性が低いため収入が低い原因となっている

これはつまり漁場へ行く往復に時間を取られてしまうし魚槽が小さく、収納スペースにも問題があるためだ(漁業法で船のサイズは規制されている)


で、原油だが、日本と中国の海上における中間線付近には海底に油田があることがわかっているのだが、恐ろしいことに日本政府は東シナ海の天然ガス田を放置していて中国の石油会社が採掘するのをただただ傍観して、抗議するにとどまっており、海底ガス田という日本の経済水域の中にある資源をまるで活用する気が無い


しかも日本政府は中国政府を非難するのだが、中国の石油会社はいちおう暫定的な中間線の中国側で操業しているのであり、日本も掘れば良いだけなのだが、密約なのか何なのか分からないが、自民党の日本政府は東シナ海におけるガス田の権限を完全に放棄している


日本政府が馬鹿なのは政治問題を解決してからガス田を開発しようとしている点であり、発見済みのガス田に手を出さないという点である


これは言うなれば大皿で出てくる中華料理のコースを食べていて、均等に半分こできるまでは手をつけないと言うようなものだ

そんな事をしていたら料理は冷めてしまう


まさに官僚的な馬鹿げた考え方であると言える


こうして九州はガス田という産業に手をつけるチャンスを自民党によって奪われている


現在、九州では中国向けの木材の輸出が好調で、木材資源が伐採されている

しかし、まだまだ未開発の潜在的な資源はあり、それらを活かすことが九州の経済水準の上昇につながると私は考えている


東京オリンピックのスタジアムで違法な木材の使用がばれたように、インドネシアやマレーシアで熱帯木材の伐採が問題になっているが彼らは自然界からの資源の採取をしているわけで、今経済発展の初段階にいる


資本も技術もない九州の私たちもこのビッグウェーブに乗るしか無い


のかなぁ?(´Д` )

衰退しすぎたわが町wいよいよ高校生が橋のたもとにたむろし始める

今日は衝撃的なものを見てしまった

今日は衝撃的なものを見てしまったそれは、高校生が橋のたもとにたむろしている風景だ


別にシンナー吸ってるとか改造バイクの見せ合いとかカップルが乳繰り合うなど不穏なものでなく、橋のたもと?橋の下に、五人が集まってただ座って携帯を見ていたのだ

高校生も連休中であり部活帰りなのだろうが、見てて悲しくなった

なぜかと言うと、私が高校生の頃といえばボーリング場やゲームセンター、カラオケ、本屋などがあり、橋のたもとになんてたむろなんてしたことなかったからだ


高校生当時、モーニング娘がジュークボックスでエンドレスに流れていたあのボーリング場独特の雰囲気が好きだったし、ゲームセンターのあのタバコやらポップコーンやらの混じった独特の香りの中に私と同級生の友達たちとの思い出はある



しかし、今やボーリング場はもう何年も前に廃業して解体されてしまったし、ゲームセンターも閉鎖、あのタバコの焦げ跡や破れの目立つクッションのへたったソファーではあったが安くて楽しかったカラオケのあった敷地もいつの間にか大型マンションになってしまった

別に懐かしむつもりはない


時代の流れはいいものも悪いものも思い出の中に連れ去ってしまうものだからだ


しかしそれより今胸にこみ上げるのは、今のこの町の高校生たちにこの町の今の大人が何もしてやれていないのではないか?ということだ


ゲームセンターやカラオケが時代の流れに取り残されているというのは知っている

実際にボーリング場もカラオケもゲームセンターも減少の一途だ

しかしこの町の大人には、子供達青少年に対してエンターテイメントを提供する責任があると思うし私が高校生の頃にはそれがあった


私はこの町で友人たちと遊んだからこの町にいい印象を持っているのであって、いくつか職を変え住居を変えてもその思いは変わらない


平成最後の週末


この町の大人は子供達青少年たちに対して何ができただろうか?


子供達青少年たちが思い出を作れる場所がまだあるのだろうか?


学校に子供を通わせるのは国民の義務だが、町を面白くするのは大人の責任だと思う


もし10年後20年後、この町についてこの町の出身者が聞かれた時「何もない町でしたよ」と言われるようではダメなのだ



以前映画化された少女漫画「NANA」という人気作品の中で主人公は自分の生まれ故郷をこう表現している

あたしの生まれ故郷は

山に囲まれた
広くも狭くもない町で

ど田舎ではないけれど都会でもない
観光に来られてもウリがない




はじめてコレを見た時、私は思わず「俺の地元!?」と漫画喫茶アプレシオのブースの中で思ったw(というか九州は大体こんな町よね)

たまたまおすすめ漫画コーナーにあったのだがこの表現は胸に残った


今日橋のたもとにたむろしていた高校生は果たして今のこの町にいい印象を持ってくれているのだろうか?(と言っても私は市長でも副市長でも公務員でもない)




楽しいことがあるという漠然とした期待を持って東京や大阪などに出れば、もしかするとこの町のことなど綺麗さっぱり忘れてしまうのかもしれない



単に実家がある退屈な町、親がいるから盆と正月だけ帰る町になってしまうのだろう



私が高校生の時、まだゲームセンターもカラオケもボーリング場も大きな本屋もあった


しかし今思えば高校の教師はそれを苦々しく感じていたように今は思う

だけども例え大人には不愉快であろうとも青少年にはそういう施設が必要なのだと思う


少なくとも橋のたもとの日陰でスマホをいじっているよりはマシな高校生活だと思うw

てか橋のたもとにたむろて老人よりもアクティブさに欠けている気がする



改めて思えば大人向けの常識がはびこるこの町は若者には魅力がもうあまりないのかもしれない



しかし少なくとも私はこの町がまだ好きである


なぜなら建物はなくなろうとも風景は変わろうとも思い出はまだ確かに残っているからだ

商業化されたイベントだらけの社会に若者の居場所はあるのか?

このゴールデンウィーク期間中に日本中でいろいろなイベントやお祭りそして大売り出しのセールが行われる


新聞のチラシにもゴールデンウィークの期間中のお祭りのチラシが何枚か入っていたし、最寄りのイオンもセールを開催するらしい


最近地方では住民が主体のお祭りではなく行政や企業などが仕掛けるお祭りが多くなっている

例えば九州の場合福岡例えば九州の場合福岡市天神の中央公園では毎年クリスマスイベントが行われていてローストチキンや七面鳥渦巻き状のウインナーホットワインビールなどを楽しむことができるまた、博多駅の前でも10月ごろにはオクトーバーフェスティバルと言って黒ビールやちょっと珍しい屋台の食べ物を食べることができる
また鹿児島でははんや祭りと言って確か数千人位(だったと思う)の人たちが天文館通りというところを回りながら踊ると言うお祭りがある


これらは自治体の所有地やJRの所有地で行われるもので、主催者は自治体やJRである

日本ではもともとは収穫を祝ったり地域に伝わる伝承や昔の合戦にちなんだお祭りが行われてきたが、最近では自治体の主催によって町おこしというか地域おこしというかそんな感じでお祭りが行われている傾向がある


つまり、自治体である行政が仕事としてお祭りをやってるというものだ

本来行政の役割は公共サービスの提供であるわけだが、今ではなぜかお祭りも仕事としてやっている


それでも、数百年や80年とかの伝統があるならまだ良い

しかし、全く目新しい肉フェスやオクトーバーフェスのようなタイプのお祭りまで行政が協賛すると言うのは果たして望ましいことなのか?私にはわからない


まずお祭りに高コストな人材である公務員を投入すること自体が良く無いし、仏教徒だらけの日本で果たしてクリスマスイベントを公有地でやることが政教分離に反していないか?とも思う
また、祭りの赤字を税金で穴埋めすることが発生することで祭りの高コスト化、祭りに対する参加者の意欲の低下もありうる、もし毎年協賛金をみんななんとか捻出しているなら祭りの役員も「なんとか今年も開催できた」と達成感を持ち翌年も頑張るはずだ、しかし、税金で補填されるなら祭りの役員たちは資金に対する意識が低下してしまい意欲は低下するはずだ


例えばマカオのカジノでのバカラ賭博による散財で捕まった大王製紙の井川意高元社長は製紙会社という潤沢な資金を持つ会社を経営していたからカジノでの豪遊に散財してしまったのだ
もし資金繰りが毎年綱渡りの会社や自動車会社やスマホ会社のように四半期ごとに新製品が必要な商売を経営していたならマリーナベイサンズで豪遊して散財することなど思いつきもしないはずだ


祭りの運営もこれと同じだ


また、今のお祭りはイベント会社が短期バイトを集めて使い回しの屋台で働かせるため、なんというか非日常感が無い



なんつーかバイトを使ってるからかなのかわからないのだが、祭りの雰囲気が無い

コンビニの接客みたいな接客だからなのかもしれんが…


で、行政がおおいに祭りに協賛するためやたらと安全に厳しくなり火を使う屋台が減少したり祭りの会場から遠ざけられたりする

屋台が少ないと、祭りは興醒めも良いところだ



そして商業化されたイベントやお祭りでは、若者も老人もただ一方的に受け入れることを要求される


つまり会場に来たら屋台で買い食いしステージの催し物や演歌歌手の歌を聴いてよしもとの若手芸人の漫才を見て、済んだら帰れ

という楽しみ方で、これはAEON MALLのイベントと同じである

つまり完全に受け身なのだ



つまり若者がお祭りに来ても一通り見て回ったらそれで終わりなのだ


もともとお祭りは参加する楽しみもあったはずなのだが多くの日本の祭りからそれが失われてしまっている


行政が言うことを聞かない住民ではなくコントロールできるイベント会社と短期バイトに祭りを委譲してきたからだ



逆に素人が参加しやすい祭りであるソーラン祭りは陳腐でダサい祭りであるにもかかわらず全国に恐ろしいほどクローンの祭りが存在している〇〇ソーラン祭りというやつがだ


どっこいしょーどっこいしょって垢抜けない曲であるにもかかわらずだw

やはり参加しやすいというのは祭りにとっておおいにアドバンテージがあると私は見ている



現在、革新的な市長の下で九州の中でも最も祭りの商業化が進んでいる都市である福岡市では、若者が独自にする集会を禁じている


福岡では中学高校の卒業式の後に卒業生と後輩が博多駅や西鉄天神駅や天神にある公園に特攻服を着て集まる慣行(なぜかは知らない)があるのだが、当日は卒業生が特攻服を着て博多駅や天神に集まると福岡県警の警察官に中学生高校生は補導されてしまう


もちろんメンチのきりあいとか殴り合いが始まったらよく無いのだが、集まるだけで高校生中学生は補導されてしまう


また、JR博多駅には警告文が貼られる


しかし、よく考えてみると、特攻服を着てたら補導、集まると補導というのは完全に中国によるチベット弾圧やタイやミャンマーの軍政みたいなものである

集まると補導というのは日本の、いや違った福岡の後進性を示している

集会の自由が福岡には無いということだからだ

ちなみに福岡市長は安倍総理大臣と仲が良く、福岡市は国家戦略特区に指定されており九州の他の地域より優遇を受けているし、菅官房長官も福岡市に視察に来たことがある

アナウンサー出身で見栄えもし(ほめてる)IT企業に好意的な高島市長ですら実際にはタイやミャンマーの軍政レベルの人権感覚であるw

安倍総理大臣の理想の社会には集会の自由など無いから、安倍総理大臣の肝いりである国家戦略特区福岡市で自発的に集まる高校生や中学生が補導されるのはある意味当然だ


高校生に共謀罪!中学生にテロ等準備罪が適用される日も近いw


JR博多駅でクリスマスイベントやオクトーバーフェスをやるのは合法
天神でよくわからんイベントをやっても合法

しかし高校生中学生が数十人集まると補導


おかしくね?




日本の行政はお祭りに協賛することで露天やイベントの中身を規制してお祭りを毒抜きしようとしてきた


しかし、実際にはお祭りに参加したい人は常に一定数存在していて、福岡の中学生高校生のように卒業式の後に集まるだけというようなものですら集まる人がいる


また、ハロウィンのように主催者がそもそもいないお祭りでもおおいに若者が盛り上がっている


これまで日本の祭りは地域の人が実施して自分たちが楽しむ祭りー>行政や企業が主催して受け身で楽しむ祭りというふうに変化して来たが、今後はやはり参加しやすい祭りへと変化していくべきだと思う


つまり飛び入り参加しやすい祭りである



税金による協賛金を当てにしてというのは余りにも行政の役割から逸脱していると思う