イオンモールはウロウロするアホをなんとかしないといけない

イオンの客の半分は「不要な客」である

何がいいたいかというと「売上に貢献していない客」がイオンには多すぎるのだ

つまり、家族でやってきて、長くダラダラ滞在して、そのまま帰っちゃうという客だ

彼らと来たら買い物しないのにやってきて貴重な駐車場スペースを長時間占有してしまう
さらに、全然買い物をしないし、商品をベタベタ触ったり子どもが落としたりするので、
商品の毀損リスクだけは高まる
さらにスーパー部門で夕飯の材料や、食品を買い物していってくれればいいのに、
そのまま帰っちゃうからまるで売上につながらない

こういう客がイオンモールに一定数存在する

イオンと市街地の違いは自然発生意図的に作られたの違いである

別にこれは老人と若者の違いではないのだ

例えば高校生の若者のグループであってもフードコートで食事をしたり、男性一人の客でもササッと買い物して退店するので、時間あたり売上は良い場合はある

しかしおばさん同士の「見に来ただけ」の客や「ベビーカーを押して散歩代わり」の客、
これらは駐車場の回転を下げるし、店内の床を傷めるし、子どもはわめくしろくなことはない

まずイオンの金儲けのボトルネックは駐車場に有るといえる

通常の市街地では、電車バス、路面電車がひっきりなしに顧客を運んでくる

しかしイオンはその資本力により文字通り「まちづくり」をしてしまう

時計、メガネ、雑貨、衣類、アクセサリー、ファストフード、喫茶店、ペット、自転車、書店、一〇〇円ショップ、
スポーツショップ

たくさんのテナントにより、突如として町が出現するわけだ

そして多くの人は自動車で訪れるので、駐車場の回転率マネジメントこそイオンの金儲けのボトルネックになる

イオンモールの建物から近い駐車場に長時間滞在する客が停めるとその他の客は遠くから歩く羽目になる

つまりいいたいのはこういうこと
「朝からやってくるやつが、早く買い物して退店してくれないと、困る」

こういうこと

何も買わずに滞在されると、その他の顧客の満足度が下がるのだ

イオンモールでは近隣にも駐車場を準備しているが、そもそも田舎の成人たちは、
屋外300mの距離は「歩かない(これはマジ、ぜひ観察してみよう)」

だから満足度が下がるのだ

まあ若者の貧困化と公園不足が悪いんだろうけど、若い母親は子どもたちをキッズコーナーで延々と遊ばせたり、店内を走り回らせたり、売り物のドラえもんの人形をよだれまみれにしているのを放置したりしている

また、無印良品やGUなどでも全然買い物していない

それこそ「見に来た」って感じ

さらにイオンモールって手ぶらで帰るやつがとても多い気がする、カバンの中とかじゃなくてほんとの手ぶら

欲しいものがないのか?それとも金が無いのか…サル2017年5月26日


一つ言えることが有る

九州ではディスカウントストアやドラッグストアが現在大人気で夜中でもお客が多く、
たくさん買い物している

しかしイオンではそれこそGUや無印の袋を持っている人すら少ない

必需品はやすいところで買い、それ以外は控えるということか?(ごめんよくわからん)

とにかくイオンは九州エリアでは値段設定を下げるべきだ
何故かと言うと九州は賃金水準が低いので、イオンでは九州民は気持ちよく買い物できないのだ

同様のことはファミレスチェーンでもそうだ、九州はかなり貧困地域なので、全国チェーン店のガストや
高級なロイヤルホストを利用できなくなっており、自然と九州の地場チェーンのジョイフルが人気をはくしている

ウロウロしに来ただけなのか?買う金がないのか?わたしにはよくわからない

最後にイオンの品揃えだが、全般的に悪い、何故かと言うと中食が多くて自炊する人には選択の余地がないからだ
(これは店内の品揃えの面積の中での調理済み食品の面積の割合を見ればいい)

つまり「家で皿にとり分ける」ものが多くて魚の切り身や肉類の品揃えが悪いというわけだ

これでは主婦の心はつかめない

特に九州のような食文化が細分化している地域では同じ味付けを「甘すぎる」と感じたり「塩辛い」と感じるばらつきが大きい

十把一からげというわけにはいかないだろう

九州ではイオンモールはなかなか大変そうだ、人はいるのになかなか売れない

イオン九州の売上高は毎年前年度を下回っている
イオン九州売上高推移
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日本人はもう一度集まって住まないと行けないが、その意志も物件もない 

 日本人の近代は明治維新の頃から太平洋戦後しばらくまで、大家族で暮らしていた

武士、農民、商人、職人、僧、神官、みんな集まって暮らしていた

というか近代以前もそう

今のように、独身や核家族はあんまりいなかった

なぜなら農業や漁業にはたくさんの人手が必要だし、商売も武士も家族の人数が多いほうが有利だったからだ

仕事の主体が、1時産業から2次産業(工業)に変わるに連れて、個人の生産性と可処分所得が増え、
少ない人数で家族を構成することが可能になった

こうして子どもたちは家を出て一人暮らしする時代が訪れ、
結婚することで所帯を持つようになった

そして家庭の数が増えることにより大量生産された工業製品を各家庭が購入することにより、
日本の工業国化が進んでいったわけだ

つまり親世代と長男家族が同居していれば1台でいい洗濯機や冷蔵庫、コンロなどを、日本の家庭が分散化する中で、
生産量を吸収できるように、分散化していったのだ

つまり「個人の生産性が上がったから個人の可処分所得が増え、農業から工業に産業が変化することで子どもは家から離れる時代がやってきた」というわけ


総世帯数が増えると生活必需品を買うために、消費は増える

しかし問題が起きた、ある段階で個人が必要とする生活必需品が増えすぎたのだ
昔ならいくつかの家電だけで完結していた消費生活が、個人の可処分所得を越えたのだ

テレビ、冷蔵庫、洗濯機、照明器具、コンロ、電話機などで生活は完結していたのに、
掃除機、携帯電話、パソコンなど金がかかるものが増えすぎた

だから今度は日本人は集まって住むことを思い出さないといけない

集まって住めば、冷蔵庫、洗濯機、照明器具、コンロなど「使用頻度が低いが高額な商品」の購入金額を、
増えた家族数で頭割りできるので、生活コストが低下し可処分所得は増える(理屈上は)

収入が一定なら集まって住むことで、参加者の豊かさは上がるのだ

他にも「トキワ荘」のような生活はどうだろう?

トキワ荘:藤子F不二雄、藤子A不二雄、を始めとする漫画家たちが好んで住んでいたアパート

トイレも風呂も共同で使えば他人同士でも、生活コストを下げられる

しかし、今の日本人にはそんな暮らしはもう無理だろう、例え高くても自己完結した「個室」を望む、
「甘え」というかそういうものを、日本人は知ってしまったからだ

さらに物件もそうで、日本各地の賃貸物件はその多くが単身者用で、2〜4人の家族用物件がそれに続く、
また一軒屋の貸家も同じく2〜4人の家族を想定とした間取りで、3LDKや4LDの物件がほとんどだ
都市部など2LDKで4人家族が暮らしている家庭もある

つまり昔の規模の家族構成はもう無理

政府は相続税や住宅地開発などで、3LDK4LDKの家が大量生産されるのを放置している

これからの時代、2人の親の所得では、家庭の必需品を維持できなくなる可能性があるというのにだ…

より低い水準で暮らすか、もっと働くか、日本人は選択を迫られている

個人の所得で生活必需品を揃えられない時代はもう来ている

公共事業は減らすべき、なぜなら自由になるお金がないと、クリエイティブになれないから

まず最初に

私は公共事業は少ないほうがいい派

であるということを前もって伝えておこう

私の主張は簡単に言うと「公共事業で仕事を作ったとしてもそれは一時的なものでしかなく、公共事業に頼るような貧乏地域で建造物を作ると、維持費が払えないし、利用もできない」というものだ

政治家や官僚は、公共事業で「仕事を与えている」と言い張るが実際には一部の建設業が儲かるだけで、
建設完了以降の、膨大な維持費はその他の市民全体の負担になってしまう

この事が原因で、本来市長や町長がやりたかったことができなくなってしまっていると私は考えるのだ

つまり、必要以上の規模の設備と建物の維持費が毎年の自治体予算を圧迫してしまい、
能動的な財務活動ができないんじゃないか?

と思うのだ

例えば地方ではグラウンド整備に大きなお金をかけており、田舎の自治体なのにかなり豪華なスポーツ施設がたくさん作られている

例えば何段も有る屋根付き観客席を持つ野球場や、陸上競技のトラック、利用者がほぼいない水泳プールなどだ

当然だけど、野球は野球場にしか使えないし、トラックは年に数日しか使用されず、プールも同じくだ

果たしてこんなの必要なのだろうか?

また、自治体の要望する、高速道路もそうだ

九州でも幾つかまだ建設中なのだが、これも「高速道路」というには下駄を履かせすぎな、代物で
片側一車線のまがい物の高速道路なのだ

この片側1車線の高速道路だと前にトラックが来ると、後の車は80kmで延々とついていくはめになり、
高速道路の長所である「高速移動」をまるで活かせていない

何より中央分離帯がなく、真ん中にセンターコーンが立っているだけなので危なくてしょうがない
無効から車が飛び出してきたら、相対速度で考えると80km/h+80km/hで合計160kmの速度でぶつかるので
双方とも死亡確定という恐ろしい道路なのだ

道路オレンジ棒2017年6月30日


しかも悲しいことに地方の住人は貧乏すぎて、高速道路をあまり利用しない

例えば鹿児島県の西廻り南九州自動車道では、無料区間が有るのだが、鹿児島市に向かう南行きの車線は、
たくさんの車が無料区間の終わる市木でみんな降りてしまう

なぜなら節約のためだ

そこから鹿児島市内までは2つの料金所で合計510円かかる

この510円は、九州で働くパートアルバイトのひとの1時間の税引き後時給に相当する

つまり、良かれと思って高速道路を作っても、そもそも貧乏な地方の住人には利用できないから無駄なのだ
だから西回り九州自動車道は無料区間だけ、混んでいるwww

なんか悲しい(´・ω・`)

高品質な野球グラウンドは地方に必要ない、陸上トラックもプールもだ

無料区間でないなら高速道路も必要ない

それよりむしろ自治体の裁量をもっと実行できるようにすべきだ


高速道路発祥の国ドイツは頭がいい、多くのエリアの高速道路を無料とし、また、複数車線で作っている

その為、ドイツ人は車で長距離を素早く移動できる(元々は軍隊用だしな)、さらに直線を多用し、日本のように
グネグネしていない

だから、通勤できる範囲の「好きな所」に住むことができるので「一極集中」を減らすことができる

なぜならある程度高速道路の入り口の側に住めばいいわけだからだ

日本人は他国の例を真似ることが多いが、コンセプトを理解せずに真似るからチグハグになってしまうのだ

チキショウ!この田舎者!設計をなんだと思ってやがる!

今日は海辺を走った、勿論車でだ、こんな熱い中自分の足や自転車で走るなんて、自殺行為、自傷行為そのものだ

海はキレイに澄み渡り、植物の緑は生命力に満ちて濃ゆかった

しかし、ちょっとかなしくなった

と言うのは、ある道の駅でのことだ

最近九州では道の駅が多いのだ、そこでは近所の農家や漁師の取った海産物、農産物を割安な値段で売っており、
どこも大人気だ

で、ある道の駅を訪れた

そこは海沿いのとても良い立地に面しており、とても眺めが良い、大洋を眺めることのできる道の駅だった

しかしある1つの要因が私の行楽気分をぶち壊してしまった

と、言うのも、駐車場からうみが見えるのだが、子どもが身を乗り出したり、登らないように、
金属のパイプで作られた柵の下部分に板が張り付けられていたからだ

このいたというのがなんの飾り気もない「ただのベニヤ板」で、それこそホームセンターで、
一枚ごとに買うことができるものだった

それを下の部分に張っているのだが、景観台無し、本来ならそこの部分も金属パイプなので、
海が見えるのだが、醜い木材の板が、台無しにしていた

これが日本の悪名高い「安全対策のために、金網、柵を付ける」という悪癖の派生作品だ


日本ではどこもそうで、景観が売りな場所なのに、簡単に金網をつけるし、柵を付けるし、注意書きの看板をデカデカと
設置してしまう

だから日本で風景写真や記念写真を撮ろうとすると、看板や金網、柵が入ってしまうことが多いww

以前、写真を撮ろうとする観光客が柵を越えてしまうというニュースがあったが、もしかしたら
「柵が邪魔だから」という理由で柵を越えたのかもしれない


自治体は観光地でたくさんの税金をかけて設計をするが、看板や金網、柵を付けて簡単に景観を壊してしまう


観光地なのだから、危険なのだから、客のほうが気をつけるべきだと思うのは私だけだろうか?

自然に帰る地方 東北九州四国でおこること

あのねあのね、行きつけのコンビニが潰れてたのw

あのねあのね、よく行ってたうどん屋が貸店舗になってたの

あのねあのね、あの頃行ってたマクドナルドが売地になったの


すごい悲しい

なんていうか…

朽ちていくって感じだ

そんな田舎道を走り、耕作放棄地を見ていて思うのは自然て本当に力強いんだなぁということだ

例えば放棄されてしまった土地の雑草って場合によっては2mとかの高さになり、完全に人間の侵入を阻むかのように、
ボッサボサに生い茂ってしまう

そして面白いのは、四角く区画割りされた田んぼの中で、そこだけ四角く「ボコッ」と雑草の緑が3Dで飛び出している

なんて言えばいいんだろw

トラクターで耕され、水平な水面がどこまでも続く中に、そこだけ雑草が生命の力強さを示している

ある意味盆栽?ある意味哲学?

管理された中にある無秩序とでも言うべきか…

自然が強烈に存在感を放っていた

そして考えたのは今は日光で輝く水面が広がる耕作中の田んぼも後数年で跡継ぎがいなくて、
荒れ地に変わってしまうんだという恐ろしさだ

私はそう考えた時「諸行無常」を感じた

そのおじさんのおじいさんのおじいさんからその前の人たちが耕してきた田んぼが、あと数年で
自然に帰って原野に戻っていくのだ

現代の日本のように相続で所有権が分割されていく社会では、長子相続や末子相続のように、
責任を持って後を継ぐものは少なく、楽な方にながれ、もしくは遠くの地域に移動した人も相続をする

すると、もはや隣の農地が誰のものかもわからず、そこで発生する害虫に悩まされることになる

しかも、相続人が多いともはや買い取ることも不可能で、宙に浮いた土地になる

こうして、地方の耕された耕作地はもはや所有者所有権すら明確でないまま、
偉大なる自然の力で、原野へと戻っていくわけだ